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島本理生という作家は私にとって何よりの救いだった



ずっと本が読めなかった。
あまりにも尊い本を見つけてしまって、そこから何かを読もうとしても「この本はあの美しい物語に届かない」と途中で心が萎んでしまって、端的に言ってつまらなく感じてしまってそのまま読まずに放置されていく。
所謂積読と言われる本が2冊、3冊と増えたところでこれ以上増やすのは馬鹿馬鹿しいと思って本を買うのを辞めた。


けれど、あまりに現実できびしい事があったから、気晴らしにたまには何か読んでみるのもいいかもしれない。
そう思って私は書店に立ち寄った。
恋愛小説を読むのは酷だろう。だから子供の頃によく読んでいたミステリーでも読もう。
そう思って店内をフラフラするも、どうしても目に留まったのは入り口近くに平積みにされていた角川のキャンペーンの中の一冊である『君が降る日』という恋愛小説だった。
恋の始まりと別れの予感を描いた、というあらすじに強烈に惹かれたのだ。それは自虐であるとわかっていても、つい手が伸びた。
そして何より私が買おうと思ったのは、それが短編集でありまだ読みやすいかもしれないと思ったからだった。


結局、正直な話をすると全てを読み終わるまで2年かかった。
それでも、読み終えられたのはあの本以来だった。

読みながら沢山泣いたが、全部読み終わった時にそれ以上に清々しい気持ちが胸の中に広がっていた。
雨上がりの快晴の中にいるような気分だった。


そうして島本先生のファンになった私は、過去の本を買い漁り20冊は読んだ。

島本先生の描く恋愛物語はすべて『きれいごと』ではない。
でもそれが、私が本当に欲しかったものだった。
今まで頑なに、私の経験した事は誰にも理解されないと思っていたけれど、その本を読んだ後、この人は自分と似た経験があるのではないかとそう思った。

恋愛の先に人生がある。

何があっても受け入れて前に進んでいくし、進んでいかなければならない。
島本先生の本は大体にしてそういう現実を容赦なく突きつけて、けれどもそんな人生にも希望がないわけじゃ無いと教えてくれるし寄り添ってくれる。

それは必ず、傷ついた女性たちの心の救いになるだろうと、救われた私は思うのだ。



真綿荘の住人、という小説の中で同性愛者の椿さんという子が出てくる。
私が島本先生の本を読むのはきっと椿さんと同じ事だと分かっていても。

でもそれが"救い"だったのだと。





もう随分と経って、島本先生の本に救いを求めなくとも大丈夫なようにはなって、
けれど人生というものはいつだって悩みは付きもので。


また、書店をフラフラとしたら
運命(すくい)の本に出会えるだろうか





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