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「女帝」の孫!? フィオの背景を徹底考察

赤目の皆さん、こんにちは!
NieR考察ガチ勢のれいらです。

今回は、リィンカネのメインヒロイン、フィオちゃんの生きた場所と時代背景について徹底考察していこうと思います。

育ちはアルザス・ロレーヌ地方

フィオちゃんの武器名には、「アンジュ・フルール」や「ランプエトワール」のようにフランス語が登場します。

Ange Fleur: 天使の花
Lampe Etoile: 星のランプ

そのため、フィオちゃんがフランス人なのはご存知の方もいらっしゃるでしょう。

さらに、フィオちゃんの駆け抜ける街並みの家の形から、彼女がフランスのどの辺に住んでいたかも分かるのです。

『白秋の章』STORY1

木の骨組みが特徴的なこの家を3Dビューワーで見ると、2階部分が手前に突き出ています。

これはコロンバージュ(木骨造)という建築様式ですが、地上階の土地の広さに応じて課せられていた税金を安くするため、このような形になったと言われています。

そんなコロンバージュのある街のうち最も有名なのが、世界遺産に指定されている、アルザス地方コルマールの旧市街。

旅行記サイト、トリプル(https://triptriple.com)より

よって、フィオちゃんの育った地はアルザス、もしくはその近辺のロレーヌという地方だと推測できるのです。

【国家のケンカ】領土問題の実態(後編)より
http://ivote-media.jp

この地方はフランスとドイツの国境上にあり、資源が豊富な地域でした。

そのため、長年に渡って両国の争いの種となった係争地で、NieRシリーズの舞台にはうってつけの場所です。

ところで、NieR:Automataの「複製された街」の家も似たような特徴を持っているのですが、この街の元はもしかして…

どちらも白基調ですしね…

生きた時代について

では、フィオちゃんはどのような時代に生きていたのでしょう。

NieRは歴史モノの要素を多分に含んでいるので、丁寧に考察していけばどのような時代に生きていたか、詳しく分かるはずです。

まず、ストーリー内の乗り物が全て馬車であるため、話の舞台は、産業革命がフランスで本格化する19世紀半ばより前だと考えられます。

しかしこれだけでは物足りないので、より詳しく見ていきましょう。

「名士会」が開かれていた

『白秋の章』STORY1でフィオちゃんは、仕事を失ったお父さんを助けてもらうため、議会場へと向かいました。

民主主義とは名ばかりの…

実は、絶対王政の強いフランスで議会が開かれることは、今ほど多くはありませんでした。

そのためフィオちゃんの訪れた議会について調べれば、彼女の生きた時代が分かるのです。

ここで、フィオちゃんが議会に入ったときに出会った3人の議員の発言を見てみましょう。

最初の3人は、全員が貴族議員でした。

中世フランスの議会のうち最も有名なのは「三部会」ですが、「三部会」の過半数は平民で構成されていました。

そのためこの議会は、「三部会」ではなく「名士会」という種類の議会だったと考えられます。

名士会は、フランス国王の諮問により重要議題を議論する場として、ヴァロワ朝からブルボン朝にかけてのフランス王国に存在した会議である。

国王はこの会議を招集するにあたり、王族、貴族、司教、裁判官、および場合によっては地方政府の官僚をリストアップし、召集された名士に対して、諮問する議題を与える。会議では、議題に関して論じられるが、召集される人物としてリストアップされること自体が名誉であったことから、基本的には議題に対する反対意見を表明する場ではなく、付帯意見を表明する程度であった。

名士会-Wikipedia

3人の発言からも、平民だったら発するような同情や、「私だって辛い」云々などの気持ちは微塵も見受けられないため、全員が特権身分から構成された名士会である可能性が高いです。

あと少しだけ、生きていれば…

さらに、メモリー「プロレタリアの底」シリーズのストーリーや「少女の断章」には、フィオちゃんの生きた時代に関する重大な手がかりがあります。

平民でありながら、十分な財産と教養を持った商人層。彼らの多くは、貴族社会の在り方に疑問を呈し、富の分配を叫んだ。

プロレタリアの底シリーズ「隣の事情」

昨夜、身分の解放を求める「山羊の民」二十数名が、議会場の前に集った。この事態を収めようと衛兵が出動。衝突が起こった。

少女の断章「怪物は見ていた」

これは、フィオちゃんがフランス革命間近の時代に生きていたことを表します。

先ほど紹介した「三部会」のような扱いに嫌気が差した商人層(ブルジョワジー)が、市民を巻き込んで王政に反旗を翻したのです。

バスティーユ襲撃(フランス革命の開幕)
Wikipediaより

フランス革命が始まったのは、1789年。

そして、「名士会」の開催年のうち1789年に最も近いのは、1787年・1788年の2回。

つまり、メインストーリーでフィオちゃんが議会を訪れた1、2年後にはフランス革命が始まっていた可能性が高いのです。

あと少しだけ生きられれば、フィオちゃんは革命のヒロインになれたのかもしれませんね…

「女帝」マリア・テレジアの孫!?

そして、真暗フィオの武器のウェポンストーリーからは、フィオちゃんの生まれに関する重大な事実が分かります。

(Le) Cadeau Royal: 女王の贈り物

ある東の国と西の国。その長い歴史の中、両国はもう何十年、何百年も、戦争を続けていました。
東の強欲な王様と、西の強欲な女王様は、土地や資源を巡って多くの兵を出し、そのたびにどちらの国も犠牲を出してきたのです。

(中略) お返しの品を、と考えた女王様は、自分の娘を差し出すことにしました。

この話には「西の強欲な女王様」が登場するのですが、フランスをはじめヨーロッパ大陸部を統治した女性君主はとても少ないです。

いたとしても、政略結婚や外交革命で有名な「女帝」マリア・テレジアぐらいでしょう。

マリア・テレジア(Wikipediaより)

マリア・テレジアがいたハプスブルク家の拠点はオーストリアですが、オーストリアはヨーロッパの東の方の国のため、「"西の" 強欲な女王様」とは矛盾して見えるかもしれません。

オーストリアの位置(現在)

しかし、マリア・テレジアは1740年にフランスとドイツの国境にあるロレーヌ地方を相続しています。

そしてマリア・テレジアの娘は、かつて戦ったザクセン選帝侯領(現ドイツ)の君主と結婚しましたが、両者の位置関係は以下の地図の通り。

(地図はあくまでも目安です)

ここで、⭕️内の「ロレーヌ地方」に注目してみてください。

⭕️部に限れば、結婚した先のザクセン選帝侯領より西です。

情報の流通が少なかった当時、⭕️内で生まれ育ったフィオの母が、⭕️内だけを自分の家だと思って過ごしていたら…

「東の強欲な王様と、西の強欲な女王様」

の構図が成立します。

よって、フィオの祖母の「西の強欲な女王様」のモデルはマリア=テレジア(1717-1780)で、

フィオの母のモデルは、ザクセン選帝侯と結婚した四女マリア・クリスティーナ(1742-1798) だと考えられます。

マリア・クリスティーナ
(Wikipediaより)

そして、マリア・クリスティーナは1765年に結婚したのですが、その翌年ロレーヌはフランスに併合されました。

だから、フィオちゃんの育った地はフランスと言っても間違いではないのです。

このようにフィオちゃんは、マリア・テレジアの孫として係争地に生まれ、フランス革命間近という激動の時代を生きてきました。

世界史年表や『攻略設定資料集』の年表を調べてみたら、あなたの推しリィンカネキャラについても何か分かるかもしれません。