自分の軸

自分の軸という哲学的なことの思索に、最近ツイッターでフォローさせていただいたたぐちまるさんがチャレンジしていたので、真似してみます。

私の思考プロセスの傾向として、今回なら「自分の軸を考える時、何を考えたら良いんだろう?」と考える枠組みを考えることから入ってしまうんですよね。演繹的に考える系です。(娘も全く同じみたいで最近そういう会話をしたばかり)

ということで、目次です。イメージは、自分自身を中心とした波紋のように広がる範囲の近いところから主に人間関係に着目している感じです。


自分自身のこと

過去、色々有った(有り過ぎてもう書ききれません)せいか、笑っていたいという気持ちがすごく強い気がします。自分が苦しくても、笑顔でいたい。無理をしがちとよく言われますが、それでも笑顔でいたいんですよね。

そのために必要なものだと思うに至ったのは、心身の健康と生きていくスキルだと思っています。

この「生きていくスキル」ですが、たまに経済的価値に置き換えようとする人も見かけますが、私が考えているのは、文明が一切無くなったところから足し算していけるスキルだと思ってます。なので、キャンプや登山を通じて自然と触れ合うようになりました。それがベースにあれば、「何があってもなんとかなる」という自信に繋がりました。すると、細かいことに頓着しなくなるんです。文明から離れた生活をずっとする必要は無いんです。「文明が無くなっても大丈夫」という自信につながるだけの経験が得られればOK

親しい人のこと

家族は当然大事にしたいですし、特に最愛の娘は別格ですね。やはり、自分に密接に関わってくれる、場合によっては関わらざるを得ない人達の存在って、自分を支えてくれてると思ってるんです。

そういう人達にとって自分がどう在るべきか?と考えると、「困った時に頼れる人」で在りたいって思ってしまっています。精神的にも経済的にも色んな面で強く在りたいです。

で、この「強く在る」っていう状態って、体感的になんですが、自分で自分を律する感じじゃないんですよね。親しい人達が居てくれるから自分が強く在れる感じなんです。支えてもらってる感じ。ちょっとクサい言い方すると愛に支えられてる感じ。山で一人で遭難したら、どれだけの時間生きていられるか、、、って思うんですが、親しい人となら「何としてでも生き延びてやる」っていう強い想いが湧いてくる、そんなイメージの平時版って感じですね。

なので、そういった親しい人との関わりは、接点に時間軸上の間隔が空いても、心の中での距離感はいつも近くで在りたいと思っています。

友人・知人のこと

友人・知人って、こういう言い方は失礼だと感じる人も居るかも知れないですが、私にとっての「心の余裕」そのものなんですよね。

「強く在る」に偏ってしまうと、張り詰めちゃう。だからその緊張をほぐしたり、そういったものを忘れて、改めて自分らしく笑っていられるのは友人・知人と居る時間なんだと思ってるんです。もちろん親しい人とも笑っていることも多いんですが、質が違う感じですね。

このコロナ禍、改めて強く実感しているのが、この友人・知人の存在が、自分にとってどれだけ重要なのかということですね。

みんなで楽しく、美味しいご飯を食べ、美味しいお酒を飲み、笑って、歌って、踊ったりと時間を過ごすというのが、人生を豊かにしてくれているんだと思っています。

仕事関係のこと

私、働くの嫌いなんです。本当に働きたく無いんです。でも、働かざる者食うべからずなので、働くなら少しでも自分が楽な仕事を選びたいと思って、今の仕事を続けて来ていますし、今の会社に所属しています。

仕事上、嫌なことはしない。したくないものはしたくないと言う。それでもせざるを得ないなら、納得の上で着手する。それを徹底してきました。本当に納得しない時は、本当にその仕事はしないんです。4年目の時だったかな。偉い人に「どうしても納得できないんで、このプロジェクトから抜けさせてください」と言いました。素晴らしい方だったので、最近もその時のことを笑って話してくれました。

この、嫌なことはしない。というポリシーを実行するためには、ある程度周りから高い評価を得なければいけないことは分かっているので、これまでそこそこやってきました。また、自分が納得できないからやらないってだけではなくて、この年齢にもなるとチームメンバーが納得出来ない仕事もチームとして突っぱねるということが出来ないといけないので、そこも腐心してきました。当然のことながら嫌われることもありましたが、概ね理解されて来ているのかなと勝手に解釈しています(笑)

社会のこと

最後に社会のことですね。社会との接し方なんですが、あまり大きく捉えないようにしています。社会の最小単位は家族と言いますし、親しい人とのコミュニティーも社会だし、友人・知人とのコミュニティーも社会、会社も社会。

そういう社会の一員として、自分が何が出来るのか?という考えを巡らせ、最適と思われるポジショニングをし、随時調整する、そんな生き方をしているつもりです。これって長年バスケをやっていてもそうなんですよね。たまに我儘なプレイをしますが、プレイタイムの8割方は他の4人をどう活かすか?を考えてプレイしていたように感じます。

日本がとか世界がっていう単位で何かを変えようとしても、自分のアクションがインパクトを与えていたとしても、それを認知するのは不可能に近いと思うんです。なので、自分が親しい人、友人・知人、仕事関係の人達に何らかのインパクト、出来るだけポジティブなインパクトを与えられていれば、それが社会全体にインパクトを齎していると信じるだけなんだと思っています。

難しいことは考えない、今、自分に出来ることをし、明日が今日よりも良くなるように願う、それが自分の軸なのかなって思うに至りました。

おしまい。

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