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『UR葉月恋』において恋ちゃんは何を恐れていたのか?

『ラブライブ!スーパースター!!』2期の中で大好きなエピソードとして『UR葉月恋』があります。

これまでも『ミッドナイトラプソディ』や米女メイちゃんと『茜心』について書いたブログの中でも、何度もこの回について言及してきました。それでも、まだ恋ちゃんにだけ注目して『UR葉月恋』について書けてないよなと常々思っています。

言葉で語る以上に恋ちゃんが大好きなので、当然語りたいことは沢山あって、まだ十分に言語化できてない部分もあるから、こうして思いついたタイミングで少しずつ考えたことをまとめて、最終的に『UR葉月恋』の魅力ってこんなにあるよというの形にしていきたいなというのが1つの目標でもあります。

前置きが少し長くなりましたが、今回『UR葉月恋』について書いてみるにあたって、「『UR葉月恋』において恋ちゃんは何を恐れていたのか?」をテーマに掲げてみます。早速ですが、その「何か」は大きく分けて2つに分けられると思います。

1.スクールアイドル部のみんなの信頼を失うこと
2.「今までの私」を失うこと

1については、物語を見ていれば割とイメージしやすいです。ゲームに夢中になって作曲ができない事とそれをかのんちゃんを始めとした1期生に話せない恋ちゃんの妄想シーンですね。妄想内での1期生の言葉をまとめると、「生徒会長がゲームに夢中の学校がラブライブ!で優勝できるはずがない」というのが、彼女の悩みポイントの1つだと思います。

生徒会長である自分がゲームに夢中になっているという事実は結ヶ丘のイメージを損なうことになってしまうし、作曲していると思った裏でサボっていた事実がバレるとLiella!のメンバーからの信頼を失ってしまうから、ゲームに夢中になっている自分を何とかしたいと思っている。でも、メイちゃんがしれっと否定しているように、そんな妄想はあり得ないって笑い飛ばせるギャグパートだと思うので、そこまで大事にはならないはず。

むしろ、ここで注目したいのは、この後のシーン。これが2を考えるきっかけになっていきます。メイちゃんにゲーム部屋の鍵を渡す恋ちゃんはこう言います。

ゲームさえ視界に入らなければ今までの私に戻れるのです

注1

こうして書き起こしてみるとちょっとは伝わるのかなと思いますが、ゲームに熱中している自分を否定しているニュアンスがあると思います。「今までの私」はゲームになんて熱中しないで、これまで通り作曲を完ぺきにこなす。だから、ゲームに熱中してやめられなくなっている「私」は「今までの私」ではない。ひとまず物語の前後関係、「葉月恋」が放った言葉というのを無視して、セリフだけを抜き出してみるなら、自己否定の意味合いが感じられる表現とも言えます。

でも、それだけではこのブログは進まないので、「葉月恋」のセリフとして考えるためにある補助線を引いてみます。それは、彼女が好きな言葉として掲げている「初心忘るべからず」です。言葉の意味としては、

何かを始めた最初のころの気持ちを忘れてはいけない、という戒めの言葉

注2

と捉えてもらえれば問題ないです。
続いて、この「初心」に注目してみます。「葉月恋」というキャラクターにとっての「初心」を考えた時に思い当たるのは、創立者の娘であり、生徒会長という肩書き、そして結ヶ丘の学校が続いていくのと同時にこの学校にスクールアイドルを根付かせていく辺りかなと思います。特に、今は亡きお母さんの想いを受け継いでいるという意味でも、彼女にとっての「初心」はかなり特別だし、他のキャラクターに比べてちょっぴり強いのが特徴だと思います。

もう少し「葉月恋」への解像度を高めるために書いておくと、そんな「初心」の強さがアニメ1期8話の『結ばれる想い』に至るまで難しい立ち位置にいたというのに影響しているのかなと。お母さんの本当の気持ちを知らないままに、「お母さんにとってスクールアイドルは良い思い出じゃなかったんだ」と信じた上で結ヶ丘を守っていこうと「初心」を固めてしまったが故に、彼女がスクールアイドルをやらないで欲しいと頑なに否定し続ける嫌なキャラクターに見えてしまったのかなと思っています。

その上で、『UR葉月恋』に戻った時に、彼女がゲームに夢中になって恐れているのは、仲間の信頼を失ってしまうと同時に、自分の「初心」に背いてしまう事になるからではないでしょうか。

「今までの私」を失うことは、自分の「初心」=お母さんに誓った想いに背く事になってしまうし、下手をしたらこの結ヶ丘にいる理由も失ってしまう事になる。そう考えると、ゲームに夢中になっている「私」=今までの「私」ではないと言う自己否定のニュアンスもあながち間違いではないのかなと思っています。だからこそ、恋ちゃんは「今までの私」に戻りたくて、あーだこーだと悩んで自分と向き合っていくし、先輩後輩関係なくメイちゃんに相談する。

結果的に、メイちゃんによって背中を押された恋ちゃんが正直に打ち明けて、みんなでゲームをやればスッキリするよという形でハッピーエンドに行き着く訳ですが、結局のところ恋ちゃんってゲーム中毒(?)を克服できたんでしょうか?

個人的には克服できたというより、そういう「私」も受け入れたというのが近いかなと思っています。その理由として目に見えて分かりやすいのが、その後の物語の中で、メイちゃんと作曲の合間にゲームで遊んでいる姿かなと思いますが、この『UR葉月恋』の終盤にもゲームに熱中してしまう自分をちゃんと「私」として受け入れていく姿が描かれています。

ずっとクリアできなかったボスを倒して大満足のまま、スクールアイドル部のみんなを見届けて家に戻った恋ちゃんは使用人のサヤさんから「鍵をお預かりしましょうか?」の問いかけにこう返します。

不思議なものですね。ちょっとしたことでこうも気持ちが変わるなんて...

注3

そして、作曲に向かう中でお母さんの写真にこう語りかけます。

お母さまの作ってくれた学校は私にとても素敵な出会いを与えてくれました
これから もっともっとステキな学校にしてみせます

注3

ここは個人的に『UR葉月恋』の中で1番好きなシーンです。1期の『結ばれる想い』とはまた違って、より深く、そして固く、かのんちゃんを始めとしてLiella!メンバーと心の奥底で繋がっているのを実感させるセリフなのはもちろんですが、そんな繋がりの中で見つけた新しい「私」との出会えた喜びを噛み締めているようにも解釈できる。むしろ、後者の意味合いを感じるようになってから、このセリフとシーンがますます好きになりました。

これはフォロワーののっぴさんとの会話の中でのお言葉を借りるのですが、恋ちゃんってこの『UR葉月恋』に至るまで「葉月恋」としての人生ではなく、母親である「葉月花」の人生を生きていたんじゃないかなと思います。

同じ場所に設立された学校で、学校存続のためにスクールアイドルを始める。もちろん、時代も、周りにいる仲間も全然違います。それでも、「初心忘るべからず」という言葉が象徴しているように、恋ちゃんにとっては誰にも譲れない「初心」があります。そして、彼女はそれ生まれるきっかけだった母親を早くに亡くしてしまった。だからこそ、自分がこうだと信じた「初心」を頑なに信じることで、ここまでスクールアイドルとして、そして、生徒会長として懸命に駆け抜けてきた。それでも、どこかでその「初心」が自分の想いではなくて、お母さんの想いになってしまっていた。それに(自覚はないにしろ)気が付いたのが、この『UR葉月恋』なのだとも言えると思います。

そういう風に『UR葉月恋』を振り返った時に、この物語にグッと来るのは、今までは見つけられなかった「私」と出会うこと、そして、恋ちゃんが「私ってこんな自分でも良いんだ!」と自分なりの生き方を受け止められた部分にあります。そして、ようやく「葉月恋」としての人生、そして幸せに気付いたその「始まり」を感じてウルッとしてしまうのです。

これが正解か不正解かは置いておいて、少しでも『UR葉月恋』の捉え方、そして葉月恋ちゃんの魅力が伝わったのなら幸いです。そして、この恋ちゃんの中での変化が1つの形になったのが『ミッドナイトラプソディ』だと感じているので、次回は『UR葉月恋』を入り口としてこの曲について考えてみます。まだまだ気付いていない恋ちゃんの魅力はあるはず!

▼注釈
注1 TVアニメ 「ラブライブ!スーパースター!! 」2期第7話『UR葉月恋』(2022年8月28日放送)
注2 精選版 日本国語大辞典
注3 TVアニメ 「ラブライブ!スーパースター!! 」2期第7話『UR葉月恋』(2022年8月28日放送)
注4 同上

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