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未来へとこの気持ち連れて行こう

ずっと待ち続けてきたラブライブ!スーパースター!!の3期の放送まであともう少し。

これを書いているのは前日のことなので、直前まで迫ってきた感はあるんだけど、まだ全然実感が湧いていない不思議な気持ちだ。

3期が迫る日々の中で、久しぶりにブログを書こうと思った。それは推しの話とか、3期が楽しみとかではなくて、ここ半年くらいの自分の気持ちの話。

正直なところ、これはブログに残すのはものすごく迷った。でも、この気持ちがあったから、また新しい気持ちで3期に向かっていけるなとも思ったから、自分の変化としてしっかり向き合った上で書いて、こうして誰かに読まれる場所に書き残しておこうと思った。

ありのままを書こうと思う。

ここ半年くらいのラブライブ!という作品に対する僕の気持ちをシンプルに表現するとしたら、飽きていたのだと思う。

5月くらいからラブライブ!という作品に対して、自分の中で「楽しもう」「応援していくぞ」という気持ちが少しずつ萎んでいく、そんな感覚が生まれるようになった。それでも、ライブの遠征で新潟に行ったり、ふとした瞬間に曲を聴いたりすると、「やっぱり好きだ」「自分の気持ちは何も変わってないわ」と思っていたけれど、そんな余韻が冷めて日常生活に戻った時に、やっぱりその萎んでいく感覚は拭いきれなくて。

その一方で、新しく好きになったものがあってそれに熱中したり、しばらく読めてなかった本に手を伸ばしたりしていたから、新しく懐かしい熱を感じていたから、少しずつ、でも確実にラブライブ!に対して向き合ってきた気持ちが段々と萎んでいくのを実感する日々だったように思う。

今思えば、多分そんな日々の中で「飽きている」というのは分かっていたはず。でも、それを認めたくなかったんだろうなって。

2年前にラブライブ!スーパースター!!と出会って、見える景色がガラッと変わったこの日々にもう戻れなくなるんじゃないかという怖さがあった。加えて、それくらいにラブライブ!という作品が自分の中にはなくてはならないものであったし、追いかける楽しさを分かち合っているオタクの存在もあったから、全く認めたくない気持ちは強かったように思う。それでも、そのしんどさに抱えきれなくなった時は、逃げるように意識的にSNSアカウントを見ない時間を作ったり、これまで書き続けてきたブログを書くことから距離を取ったりしていた。


今振り返ってみれば、この半年くらいの自分の心はコンディションの悪い時期だったと思う。ブログの本数自体も減っていたり、TLをチェックする時間が減っていたりもあった。過去のブログを読み返していても、そういう飽きていた気持ちを何とか押さえつけようとしつつも、ちょっと漏れ出しているようなところもあったと思っている。それでも離れたくないから、何とか追いかけていくような感覚だったのかもしれない。

そんなモヤモヤを抱えていた日々の中で、Netflixである番組を見た。それは星野源とオードリー・若林のトーク番組である『LIGHTHOUSE』。
高校生の頃から星野源のエッセイを愛読していて、ちょうど読み返していたこともあり、「なんか色々見てみるか」気持ちで思い立って見てみることにした。二人の売れない時代を振り返りながら、燻っている気持ちだったり、テレビじゃ言えない本音だったりが、刺激的で、それでいて共感できて、夢中になって一気見した。

そのシリーズのパート3で若林の言葉にビビッと来た。

飽きたって言葉を俺 涙出そうなんですけど
(飽きたって)誰にも言えなかったんですよ

俺ね 星野さん  "飽きた"って言葉をね
武道館を2019年にやったんすけど 3年間誰にも言えなかったんすよ

Netflixシリーズ『LIGHTHOUSE』 エピソード3:Christmas プレゼント

「いや、これ今の俺じゃん」って。薄々気付いてたし、ずっと目を背けてたけど、飽きていたんだなって。いつの間にかそれは自分の中で悪いことになっていたけれど、お笑い芸人を仕事にした彼ですら飽きていて、しかもそれを言えないでいたのかって。何だかそれはただ共感したっていうよりは、ずっとその言葉を求めていた、誰かがそれを言ってくれるのを待っていたのかもしれない。それくらい自分の中にストンとこの言葉が落ちる感覚は今でも覚えている。(ちなみにこのブログを書くためにもう一度見返したけど、星野も同じように「飽きた」を先行体験していて、そこから考えたことを話しているところにもめちゃくちゃ共感した。)

冒頭にも書いたけど、やっぱりどこかで飽きていたのだと思う。この星野と若林の会話を受けて、少しずつそんな風に自分の気持ちを素直に受け止められるようになった。(と思う。)

ふとこの2年を振り返ってみると、しっかりと作品に向き合って、感じたことを言葉に置き換えて、それをブログで発信したり、誰かと熱く語り合ったり、何か場を作ってみたくて企画を立てたりと、一生懸命すぎるくらいに走ってきた。それはめちゃくちゃに楽しかったし、これからもそういう楽しさを忘れずにラブライブ!という作品を好きでい続けたいと思っている。

でも、どこかで走り続けることに疲れていたし、これからもきっとそういう疲れはふとした瞬間にやってくる。多分、僕にとってその疲れの正体が「飽きる」ということなのだと思う。そういう疲れが知らない間に自分の中に積み重なっていたんだろう。ラブライブ!とは関係のない作品に触れたこともあってか、何だか自分のことを急に客観視できて、ストンと腑に落ちた感覚がした。この感覚を掴めたのが多分8月くらいのことだったと思う。

少し脱線するかもしれないけれど、上に書いたようなことに加えて、このブログを書くか迷った理由も書いておきたい。

この半年くらい改めて実感したのだけど、SNSって「好き」「嫌い」みたいに割り切った気持ちは伝えやすいけど、その間の気持ちっていつも伝えるのが大変だなって思う。それは限られた文字数の中でというのもあるとは思うけど、それにしても、その間の「好き」でも「嫌い」でもない部分だったり、そう感じている気持ちの根っこの部分だったりを表現すること、そして、誰かに伝えるのってよくよく考えてみるとマジで難しいなって。

多分、自分の「飽きた」っていう気持ちの苦しさを加速させていたのは、そういう難しい気持ちを伝えたい時に感じたSNSの使い勝手の悪さだと思う。(だから、僕は何かある度にSNSではなく、しっかり書けるこのブログという場所を選び続けてきたのだとも思った。)

そんな「飽きた」気持ちを受け止めた上で、ここ半年を振り返ってみると、飽きてはいたけれど、それでも「好き」を諦めたくない気持ちとずっと戦っていたなぁって。

「応援したい」「好きだ」の気持ちが萎んでいくのを感じながら、ふとした瞬間にTLを見ると、いつも誰かが「好き」に対してひたむきに向き合っていて、でも楽しそうで。僕自身も、Liella!のファンミに参加した時はめちゃくちゃ楽しかったし、推しのソロ曲を聴いてめっちゃ泣いたし、3期を前にしてLiella! 5thライブのBlu-rayを見て、現地参加した時の高揚と感動が蘇ってきたしで、好きなものはずっとどこかで好きだった。

そんな中で聴いたスリーズブーケの『月夜見海月』もジーンと心に沁みて。「いや、これも俺のことじゃん」って思ってから、この曲がさらに特別で大切な曲になった。

苦しさは 諦めていない 決意の証だ

スリーズブーケ『月夜見海月』

ここまでつらつらと書いてきたけど、これがラブライブ!スーパースター!!の3期に至るまでの僕の気持ち。1年前の自分に伝えたとしても想像してないくらいに、楽しくて、それでいて苦しくてな時間だったと思う。

きっと1年前に3期が放送されていたら、この気持ちは知らないまま、「楽しい!」「最高!」なポジティブな気持ちだけ迎えられていたと思う。でも、そういう気持ちを知ったからこそ、自分の気持ちに対してより素直に向き合った上で楽しめるなぁって。

これからも「飽きる」ことはあるかもしれないけれど、具体的な解決策は見当たらなくて、やっぱり自分にしかない「好き」を信じるしかないなって。その度に、また自分の「好き」を確認して戻れば良いじゃんって思うし、きっとそれを繰り返すうちにどんどん好きになっていく。今の僕の楽しむ気持ちを支えているのはこの感覚だと思う。そして、その時の等身大の「私」で楽しんでいきたいよねって思う。

うん、もう大丈夫。3期を楽しむ準備はできた。


これまでの気持ち全部を抱えて、明日からの3期を楽しもう。これから始まる新しい「季節」もまた素敵な思い出になりますように。

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