「」

ご無沙汰。
あけおめ。
気付いたら未来にいたなあ。
無事、生きてます。

もう3月だね、本当に、もう。

この音沙汰のない期間中、何をしていたのと聞かれれば、まるで答えようのない日々を過ごしていた故、宛のない言い訳すら書き起こす気になれなかった。

それでも、何者でもない人間として生き続けることは到底心が耐えられなくて、音楽を作ってみたり映像を作ってみたり写真を撮ってみたりもした。したんだけど。

それが自分の為なのか、はたまたキミの為なのか、何においても理由を探してしまうほどにはきっと器に対しての余裕がなかった。

ふと気付いた冬、鼻先に触れる雪に感じることは確かにあった。
不意に訪れる春、何かが開ける音に心臓が締め上げられる感覚はあった。
それでも自身の次の一手はどうも見出せていないようだった。

此処までの内容はどちらかと言えばネガティブな言葉が並ぶように思えるけど、きっと僕の中に眠っている感覚はそうは捉えていない。
但し、颯爽と過ぎる時間はどうしても僕に焦燥感を与えていた。
追われることで尽きていく体力と向き合い、自身の手札を棄てる覚悟も決める時がくるなとも考える。

でも、そうだなあ。
端的にいえば自分のアイデンティティを持つこともなくフラフラとぶら下げた両手が些か滑稽に見える。
それを恥じらい、自責、そして空虚に感じ、更には少しずつ歯車のズレていく現実社会やどうもうまくいかない人間関係、それでもなお美しく存在する万物に対し沸々と溢れ出る自身の暴論。
嗚呼苦しい、嗚呼哀しいと感じる度にフワッと香るマイナーコードの残り香。
どうしても何かを生み出す親に成らなければ、やはりこの人生は快楽すら得られずに朽ちていく一方だと悟る。

リハビリ、しなきゃかなってらまた思う。
生む自分と待つ自分、果たしてどちらが病気じゃないのか。
随分と前から大凡の答えは既に見えていて、それでもギリギリまで目を閉じる自分はそれはそれで何かの症状を抱えているのではないかと思うほどだった。

僕は少し息を潜めると、兎に角人からは生存確認を要求される。
生きてるよ、と答えど人は、生かさねばと思うそう。
そう思われている幸福感も感じられるほどには大人になった。
だからこそ、生きねばならない。生かさねばならない。

また書きます。
変わらぬままの世界であればいいな。

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