眠りと音

眠りに就く前に音楽や動画を流すのが習慣としてある。

上手く眠れない私には眠りに落ちる指標として必要なもので、何を話しているのか何を歌っているのかがだんだんとわからなくなっていく過程を瞼の裏を見つめながら過ごす。

周りの音がパタッとわからなくなってしまう瞬間はきっとそれは死んでしまうのと同じ体験なのだろうか、などとうっすら考えて恐怖で目が覚めてしまったことがあって以降心を無にして挑んでいる。
ただ永眠という言葉があるように案外眠ることと死ぬことは近しい現象なのかもしれない。

ワンダーランドへの洞穴をはしごをかけてゆっくり降りていても落ちてしまう時はあっという間に落ちてしまう。何の抵抗もなく夢に飛び込める人は前世がアリスだったのだと思う。
落ちた洞穴には地面にぶつかるよりも先に別の世界が広がっていて、この世では味わえない幸せとこの世の悪意が同時に牙を剥く。

明晰夢が見れたなら何処へでも幸せな方を選んでいけるのだろうけど2度と夢から戻れないような気がして、それならば悪意に食いちぎられる寸前に呼吸を荒げて目覚める方がマシなのかも。

ただそんな刺激的な夢を見ることも滅多になく、日々ぬるま湯の夢を見て秤に乗せた現実の音と夢の重さが刻々と変わっていくのを感じながら目を覚ます。
夢と現実の重さが丁度同じくらいになったとき、現実が夢に干渉し出す。
友人が刺身定食はありかなしかの激論を繰り広げるところに心の中でひたすら反論をしていた夢を見た日は目が覚めたときにインターネットラジオで同じ話をしていた。
この不思議な感覚が楽しくて動画や音楽を流しっぱなしにして寝てしまう節は、若干ある。
聡明な友人2人がしょうもないことで議論しているのは現実では見れないでしょう、とても面白かった。

現実に引き戻され、生きて目が覚めたと安堵し流しっぱなしの音を止めてからが1日の始まりだ、この時点で大分疲弊している。正直勘弁してほしい、夢を見ないほど深く寝かせてほしい。

睡眠は好きだし、ロングスリーパーであるのに数年上手く付き合えない眠りにまた今日も身を委ねなければならない憂鬱な気持ちでまた睡眠についてだらだらと書き連ねてしまった。
今日も今日とて元々夜型の人間だからもう思いきって生活リズムをずらしてしまおうかなど曲なりにも日の出ているうちに行動しなければいけない環境にいる中で実現不可能なことを考えている。