遺言未満、(椎名誠)/ぼくがいま、死について思うこと(椎名誠)
「ブックマーク99号で、面白かったので2度読んだと紹介されていた本を、99号を各地へ送り出したあとに借りてくる。文庫があったので、文庫のほうを。書名はさいごに読点(、)がついて、『遺言未満、』。
「青年の頃からの朋友である」文芸評論家の北上二郎(目黒考二)が、書名を含めこの本の内容を「よい」と評価してくれたことが、文庫版あとがきに書いてある。目黒考二は、椎名誠とともに「本の雑誌」を興した人だ。その目黒から「とつぜん肺ガンが見つかり、あと一ヵ月の命なんだ」と電話がかかってくる。目黒との「さらば友よ」の挨拶の話が書いてある。
椎名誠は東京生まれ。大阪の一心寺の「お骨佛」を知って感動したそうで、「念願のお骨佛をおがみに」という章がてっぺんのほうにある。一心寺は、宗派を問わず、檀家であるなしにかかわらず納骨でき、お参りできる。(私も人のお参りにくっついて行ってみたことがある。) 納骨された数万の方々の骨でつくられたのが「お骨佛」である。
母が死んで25年、父が死んで7年になる。先に死んだ母の骨を、故郷の墓に納めていいものか…と父は迷い、自分にとっては故郷だが妻にとってはそうではないから(それに大阪からは遠い)…というようなことを言っていた。結局、母の骨はどこにも納めないまま、どうするねんと思っていたら、父も死んでしまって、どうするかなあと思案しつつ、父の骨もいっしょに置いてある。
父の故郷の墓は(開けたことはないが)形状からすると、おそらくカロウト式で、開けたら父の両親の骨壺が入っているのだろう(たぶん)。父の父(私にとって祖父)は早くに=父が10歳の頃に亡くなり、父の母(私にとって祖母)もそれよりは長生きだったが、私がものごころつかないうちに亡くなり(祖母に抱かれている写真はあるが、記憶はない)、どちらも五十回忌というのを済ませている。早く亡くなったのだなあと思う。
父の死後の事務手続きはほとんど済ませたが、残っているのが「父の故郷の墓をどうするか」。どうするかなあと思っている間に、私も妹たちも歳をとる。
そんな事情もあって、葬送や墓のことはそれなりに興味があり、ときどき本を読む。椎名誠の『遺言未満、』を読むと、これの前に『ぼくがいま、死について思うこと』という本があるというので、こちらも借りてきて読む。
こちらのあとがきにも、「友よさらば」と親友の西川良が急逝した話が書いてある。この本の単行本が出たのが2013年、1944年生まれの椎名誠は70近かった。同世代で亡くなっていく人もある年頃だろう。
『遺言未満、』を読んだときにも思ったが、椎名誠はずいぶんと世界を巡っているのだ。若いときには相当な無茶をしていて、九死に一生を得た話がいくつか(!)書いてある。
世界各地の=文化を異にするところでの葬送方法の違いは、そこの自然条件によるのだ、という話がいちばん印象に残った。
母と父の骨と墓をどうするかなあ。
(遺言未満、 2024年6月22日 了)
(ぼくがいま、死について思うこと 2024年7月3日 了)
※椎名誠 旅する文学館、というサイトがあり、そこに椎名の「自著を語る」がある。
『遺言未満、』
https://www.shiina-tabi-bungakukan.com/bungakukan/archives/17589
『ぼくがいま、死について思うこと』
https://www.shiina-tabi-bungakukan.com/bungakukan/archives/7174
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