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遺言未満、(椎名誠)/ぼくがいま、死について思うこと(椎名誠)



「ブックマーク99号で、面白かったので2度読んだと紹介されていた本を、99号を各地へ送り出したあとに借りてくる。文庫があったので、文庫のほうを。書名はさいごに読点(、)がついて、『遺言未満、』。

「青年の頃からの朋友である」文芸評論家の北上二郎(目黒考二)が、書名を含めこの本の内容を「よい」と評価してくれたことが、文庫版あとがきに書いてある。目黒考二は、椎名誠とともに「本の雑誌」を興した人だ。その目黒から「とつぜん肺ガンが見つかり、あと一ヵ月の命なんだ」と電話がかかってくる。目黒との「さらば友よ」の挨拶の話が書いてある。

椎名誠は東京生まれ。大阪の一心寺の「お骨佛」を知って感動したそうで、「念願のお骨佛をおがみに」という章がてっぺんのほうにある。一心寺は、宗派を問わず、檀家であるなしにかかわらず納骨でき、お参りできる。(私も人のお参りにくっついて行ってみたことがある。) 納骨された数万の方々の骨でつくられたのが「お骨佛」である。

いま日本で一番多い墓は、…(略)カロウト式で、一人ずつ骨壺に入れて普通は永代供養がたてまえになっている。でも一族の子孫があちこちに越してしまったり、限界集落などでは人間はみんないなくなり、墓だけ残っている、というようなこともあちこちで起きている。またカロウト式だと結婚した嫁などが亭主より早く逝ってしまうと、殆ど知らない亭主型一族の骨壺ばかりの暗い穴に入っていくことになる。仲の悪い嫁と姑が永代一緒、ということもおきてくる。
 その点、お骨佛はとにかく一五万人、二〇万人などという人々と一緒になるのだから、そんな気づかいもいらなくなる。

(pp.34-35、「念願のお骨佛をおがみに」)

母が死んで25年、父が死んで7年になる。先に死んだ母の骨を、故郷の墓に納めていいものか…と父は迷い、自分にとっては故郷だが妻にとってはそうではないから(それに大阪からは遠い)…というようなことを言っていた。結局、母の骨はどこにも納めないまま、どうするねんと思っていたら、父も死んでしまって、どうするかなあと思案しつつ、父の骨もいっしょに置いてある。

父の故郷の墓は(開けたことはないが)形状からすると、おそらくカロウト式で、開けたら父の両親の骨壺が入っているのだろう(たぶん)。父の父(私にとって祖父)は早くに=父が10歳の頃に亡くなり、父の母(私にとって祖母)もそれよりは長生きだったが、私がものごころつかないうちに亡くなり(祖母に抱かれている写真はあるが、記憶はない)、どちらも五十回忌というのを済ませている。早く亡くなったのだなあと思う。

父の死後の事務手続きはほとんど済ませたが、残っているのが「父の故郷の墓をどうするか」。どうするかなあと思っている間に、私も妹たちも歳をとる。

そんな事情もあって、葬送や墓のことはそれなりに興味があり、ときどき本を読む。椎名誠の『遺言未満、』を読むと、これの前に『ぼくがいま、死について思うこと』という本があるというので、こちらも借りてきて読む。

こちらのあとがきにも、「友よさらば」と親友の西川良が急逝した話が書いてある。この本の単行本が出たのが2013年、1944年生まれの椎名誠は70近かった。同世代で亡くなっていく人もある年頃だろう。

『遺言未満、』を読んだときにも思ったが、椎名誠はずいぶんと世界を巡っているのだ。若いときには相当な無茶をしていて、九死に一生を得た話がいくつか(!)書いてある。

世界各地の=文化を異にするところでの葬送方法の違いは、そこの自然条件によるのだ、という話がいちばん印象に残った。

モンゴルで火葬が一般化しないのは、広域を旅してみるとわかるが、本当にこの国は「草原」そのもので、木がはえているところはごく限られているのが大きな理由ではないかとぼくは思っている。森林限界をすぎているチベットと同じで、遺体を燃やすための燃料条件はかなり厳しいのだ。
 話はちょっと本筋から外れるが、ぼくが世界を旅していて、いちばん自分の認識の糧になるな、と思うのは、その国それぞれの自然環境の違いがこうした「異文化」の基礎をなしている、ということに気づくときだ。極端な話、カナダ、アラスカ、ロシアの北極圏に住むネイティブに火葬という習慣はない。木が生えていないところで生活しているのだから、火葬にする燃料はおろか、捕獲したアザラシやクジラ、セイウチなどの肉を焼いて食う燃料すらない。だから彼らは無思慮な先進国の人々から「エスキモー」(生肉を食う人)などとの嘲りをうけながらも、肉を生で食うことによって肉や血のビタミンを破壊せずに全部吸収し、今日までの民族的存続を保ってきたのだ。

(p.71、「わが子の亡骸を捨てに行く」)

母と父の骨と墓をどうするかなあ。

(遺言未満、 2024年6月22日 了)
(ぼくがいま、死について思うこと 2024年7月3日 了)

※椎名誠 旅する文学館、というサイトがあり、そこに椎名の「自著を語る」がある。
『遺言未満、』
https://www.shiina-tabi-bungakukan.com/bungakukan/archives/17589
『ぼくがいま、死について思うこと』
https://www.shiina-tabi-bungakukan.com/bungakukan/archives/7174


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