鴨居羊子の生き方百科(鴨居羊子)

教育とは“学ぶ意欲”です。決して“どれだけ知っているか”だけではありません。学ぶ意欲の衰えたとき、人はわずか十代で、わずか二十代で、まるで頑迷な年寄りのような頭になるでしょう。そしていかに高い教育を受けていても、学ぶ意欲が衰えたとき、その人の教養はひからびるのです。

 教育とは花を咲かすために不断に注がれる水に似ています。たかだか、二十代の前半で終わってしまう学校教育は、人が生涯をかけて学ぶことのささやかな状況設定にすぎません。

 ですから、とにかく学校へゆくことを与えられている時期は、大いにどん欲に何でも勉強することが大切です。自分の無知を、日々認識することは、学ぶ意欲をかきたてるでしょう。

(p.219、「母と違う進学コース希望/まず、学ぶ意欲が大切」)

巻末に「この本ができるまで」として、大谷峯子さんという方が、学生の頃に友人宅でその母上が新聞を読んでいて「やっぱり、鴨居さんの回答は違うわあ…」としきりに感心していた、という話を書いている。子どもの頃からチュニック(鴨居羊子が創業した会社)に憧れ、あの記事はなんだったんだろう? 読んでみたい!と思って、探す。

思いつく新聞社に電話をかけてみるも、「データ化する前の記事なので…」と分からず、読んでみたい気持ちだけを原動力に、適当にあたりをつけて、新聞縮刷版をめくってめくって、ついに探しあてた!

鴨居羊子は、新聞の人生相談のコラムを受け持っていた。掲載紙は毎日新聞、「生き方百科」というタイトルで、この本になったのは、「鴨居羊子が回答者として担当した1976~1979年までの掲載分からセレクトしたもの」(p.9)だという。

「ブックマーク」99号に掲載した、Pさん(「ブックマーク」を始めた人)の古文書のうち、"昭和から平成へ"のタイミングで、タウン情報誌「バーズアイ」が企画したアンケートへの回答は、もとは五十音順に並んでいて、たまたまPさんの隣に掲載されていたのが鴨居羊子の回答だった。

鴨居羊子がわりと早く亡くなったことは知っていたが、この元号が変わったときには存命だったのだと知り、久しぶりに鴨居羊子の本(のうち、全然知らなかったもの)を図書館でみかけて借りてみたのだ。鴨居羊子が亡くなったのは、1991年、平成になって3年のこと。

1925年生まれの鴨居羊子は、昭和が平成に変わったとき60代の前半で、亡くなったのは66歳。毎日新聞で、この人生相談の回答者をしていた頃は、50代の前半である。

この本に「鴨居羊子の「人生相談」」という文章を寄せている上野千鶴子が、「人生相談の回答者を経験してみて身に沁みて思うのは、人生相談というものは、回答者の価値観と人格を隠しようもなくあらわにするということだ」(p.232)と記している。

「母が望むのとは違う進学コースを希望している」という14歳の中学生に対する回答では、教育とは"学ぶ意欲"なのだと繰り返している。鴨居自身が、自分の無知を日々認識し、学ぶ意欲をかきたててきたのだろう。

むかし函入りの本を買ったこともある『わたしは騾馬に乗って下着を売りにゆきたい』を、あらためて読みたくなった。

(2024年7月4日 了)

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