Monologue

大学を、卒業することができた。

長い長い「学生時代」という時間にようやく終止符が打たれる。長かったか短かったかは正直分からない。どちらともいえたような気がする。

卒業文集。そんな感じのやつだ。書くのは小学校の頃以来かもしれない。ただ、これから書き連ねるのは真っ黒でどうしようもない自分の歴史の話だ。これを書く理由は他でもない。それらを全て清算してここに置いていくためだ。こうでもしないことには、自分がいつまで経っても変わらない気がするから。マジで暗い文章を書くことになるけどどうかお許しください。

小学校。校長室に連れていかれるような凄絶ないじめを2度も受けた。1度目は2年の時、下校中に道端に落ちてたロープで足を縛られて引っ張って転ばされて頭部打撲。2度目は3年の時、飼育当番中に凍った中庭の池に突き落とされた。前者はその日付まで鮮明に覚えている。そして、それをされたのは両方とも自分が友達だと信じていた人間からだった。今思えば、それがかなりの傷だったような気がする。正直な話、今でも仲良くしてくれている人達が、本当は自分のことを友達だと思ってないんじゃないか、少し接し方を間違えたら裏切られるんじゃないかと思ってしまうことがたまにある。勿論自分の友人たちがそんな心の狭い人間だとは全く思わない。でもたまに防衛本能が出てしまうことがある。そこは大目に見てもらえると助かります。そして、自分が彼らをいじめっ子にしてしまったんじゃないかと思ったりした。いや、そんなこと思う必要は絶対ないんだけど。いじめなんて何をどう考えたっていじめるやつが完全に悪いんだけど。ただ、自分にはそれをどうしても思えなかった。もっと毅然とした態度を取れてたらとか、そんなことを思ったりした。

ただそれ以上に辛かったのは、当時の担任から受けた仕打ちだった。当時の自分は(今もだが)ひどく手先が不器用で周りより遅れを取ることが多々あった。しかし、当時の担任はそんな自分に対し、あろうことか人格否定をしてきた。ダメ人間のレッテルを貼り、容赦なく罵声を浴びせた。

殺してやりたいと思った。

初めて、特定の人間に殺意を抱いた。1度や2度じゃない。毎日学校にいる間中ずっと、目の前にいる人間を殺す妄想をしていた。それくらい憎くて憎くて仕方がなかった。多分今どこかで出会ったとしても、我を忘れて恨み節をぶつけまくると思うくらいには今も憎悪の炎は消えてないし、きっと死ぬまで持ち続けるんだろうなと思う。このかけられた呪いは今なお解き切れていないから、今後の人生でしっかり解かないといけない気がする。

音楽を始めたのは、上述のあれこれで負った心の傷を埋めるためだった。自分で言うのもだが、自分には多少なりその方面の才能があった。ちゃんと個性を認めてもらえた。それもあって、少しずつ周りに心を開けるようになった。おかげで4~6年の時はそれなりに学校が楽しいと思えることもあった。もう一生物だろと思えるような腐れ縁もできた。

中学校。またいじめで学校沙汰になった。今度は放課後にジャージを破かれた。ただ前と違ったのは不思議とそこまでショックではなかったことだった。別に目の前でやられたわけでもなければ肉体を痛めつけられたわけでもなかったから。ただ、早くこんな環境から逃げたいという気持ちは強くあった。当時の中学はめちゃくちゃ荒れていて、Twitterで叫ばれる「公立中学校」そのものの魔境が広がっていた。そこで何とか地元ではトップの進学校に合格し、そこからは逃げることができた。そこから先が、本当の地獄だということも知らずに。

高校に入ってまずいきなり大学受験の話をされた。本気で来るところを間違えたと思った。高校を選んだ理由が部活でヴァイオリンをやることと荒れた公立中学校という名の鉄格子から抜け出すためだった自分にとって、頭のいい大学に行くという志を持った人たちはあまりに眩しかった。ましてや東大京大なんて、自分とは絶対に交わることのない遠い世界の話だと思っていた。

何のために勉強するのかなんて考えたこともなかった。成績が落ちるところまで落ちても、微塵の危機感も抱けなかった。元の志望動機だった部活ですら、結果的に引き戻されて最後まで続けたとはいえ、一度完全に辞める意思を固めるところまで行った。そして悟った。

自分は、普通の人間

特にこれといった秀でたものがあるわけでもなく、ただただ生きるのが下手なだけの普通の人間。悔しいけど認めるほかなかった。

悪く言えば挫折に挫折を塗り重ねた、よく言えば身の程を知った高校3年間と浪人時代だった。浪人したことが良かったか悪かったとか、そんなこと以前に自分はストレートで大学に行っていいような出来た人間じゃなかったような気がする。それだけ。何のために勉強するのか、それすらああなるまで分からなかったし、音楽の方だって、それでプロになるような才能も覚悟も、ないことに気が付いた。劣等感こそあっても、後悔はないというか、する資格もなかったように思う。そして、あの空白の1年に意味を与えるのは、今後の人生なのかなとも思う。

そして、大学に行かせてもらうことができた。初めての一人暮らし、右も左もわからない状態で東京に来たこと。人との話し方も全部忘れた状態で大学の門をくぐったこと。もう4年も前の話らしい。

大学を通して得るもの。専攻分野についての専門知識。社会に出るための術。はたまた、単に学歴。人によって様々だろう。生憎、自分はそんな高い志を持って大学に行っていたわけではなかった。結局、大学の授業なんて自分で学びを深めるためのきっかけ作りでしかない。授業を通して本当に興味を持った人たちが、院に行ったり自ら本や文献を読んで深化していく場所で、授業そのものから得られるものなんてほんの少しにすぎなかった。じゃあ自分は何を得たのか?と言えば答えはこれだった。

高校まででは出会えなかった、面白い人間

本当にこれに尽きた。今まで自分が見ていた世界だと思っていたものがどれだけ狭い範囲で成り立っていたのかを痛感した。普通の大学だったけど、音楽だったり何かを極めている人達に出会えたし、そして彼らもまた、自分の個性を認めて接してくれた。将来のこととか、悩みの尽きない4年間だったとはいえ、人間関係で悩まなくてよかったのは、本当にありがたいことだった。また、これは大学内に限った話ではなかった。ある時自分の好きな音楽について発信したら、とあるコンテンツの偉い人と知り合いになったり。いつの間にか音楽系のクラブに入り浸るようになって、そこでたくさん仲間が出来たり。小中高までの閉鎖的なコミュニティの中では絶対できなかった友達がたくさんできた。そして、自分を必要をしてもらえた。すごく嬉しいことだった。

以上、これまでの自分とか、それを取り囲んでいたものの話。別に、周りのせいで自分の人生めちゃくちゃにされたとか、そんなことは全く思ってない。特に小学校の頃されたあれこれがもしなかったら、今夢中で音楽を愛してる自分はいなかったかもしれない。それに、肝心なところで選択をしたのも自分。それが正しくても、間違っていたとしても、誰かに八つ当たりする資格なんてない。今存在してる人生を、受け入れるしかない。

正直、今までの人生で、自分自身を好きになってあげられたことはほとんどなかった。どこかで自分は出来損ないという決めつけを自分でしていたし、それで生きるのが下手くそな自分を正当化しようとしていた節があった。消えてなくなりたいと思い続けながら、ただ空虚な毎日を生きていた時期もあった。

ただ、今はそうやって、何一つ自分を認めてやれないまま死にたくはないなって思えている。もうあと1週間足らずで社会に放り出されるわけだが、正直言って不安しかない。できることなら社会になんて出たくない。ただ、どうせ逃げられないなら思いっきりもがいて変わってやろうと思う。それは今の自分が変わるだけじゃなくて、過去に苦しんだ自分に報いてやることでもあるから。そして、10年後くらいの未来の自分が、これを見た時に大爆笑してるくらいになったらいいと思う。

終わり。この文章は、自分の信頼できる人達に託そうと思う。僕はこんな奴ですが、まぁ、どうかこれからも見守って頂けたら嬉しいです。こんな陰鬱で下手くそな文章を、最後まで読んでくれてありがとう。

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