7章【6】 依存される方法とされない方法
相手に内省する力を伸ばしてもらうことと、依存させることの決定的な違いは、答えを与えるかどうかというところである。
相手が悩みを話してきたとしても、「こうすればよい」と答えを与えず、また自己嫌悪となるような指摘もせず、ただその人が自分で話し、自分で考えたいように考える手助けをするだけに留めると、相手に内省をしてもらえる。
うまくいったときには、相手は、
「なんだかわからないけどやれそうだ」
と思うだろう。特別にこちらに感謝をすることはない。話してすぐにお礼を言われるときには、もしかすると相手に答えを与えているかもしれない。
もし相手を依存させたいのならば、自己嫌悪を促すように、「だからダメなんだよ」 と相手の悪いところを指摘したり、自己承認欲求を満たすように過剰に褒めたりしながら、
「君はこうした方が良い」
とアドバイスを与えれば良い。そうすれば、相手は依存し始めるだろう。
「なんで? どうして? どうしたらいいの?」
と聞いてくるだろう。そのときに相手に同調した上で、相手よりも少し強い口調で答えを与えると良い。
もしアドバイス通りに相手がやってうまくいったら、またさらに依存される。もし失敗をしたら、
「あなたの言った通りにやったのにうまくいかなかった」
と恨まれたり、役立たずだと思われたりするだろう。
依存されたり、したりするのを一切なくすことは難しい。人から頼られるのは快楽だ。より頼られようと思うと、どんどん依存させることをやってしまう。そうなると、対等に話せる人が周りにいなくなってしまう。必要とされればされるほど、もっと必要とされたいと思ってしまうものだ。
悩みを打ち明けられたら、その人がより自分で答えが出せるようになるように最小限に関わり、自分がどうしても困ったときには、少しだけ人に頼らせてもらうような慎ましさを持っていることが心地よい人間関係を作れるのではないかと思う。
得てして、目上の人、尊敬する人には、自分でも気がつかないうちに身の上話をしてしまう。それが絶対に悪いこととは言わないが、自分からその人と話したいと会いに行って、身の上話をするのは失礼なことだ。相手は別に聞きたいとは思っていないのに、こちらの都合で行って、聞かれてもいないのに勝手に身の上話をしているのだ。
この人はどんな人なのだろうと相手に興味を持ちながら尊敬する人と話したり、また話してもらった体験の中から、あのとき相手はどう思っていたのだろうかと考察する中に新しい発見があるような関わりを持つことが大事だ。
そうすると、目先の答えではなく、他人を堪能しながら、自分で答えを見つけて進んでいく感覚が磨かれていく。そして、そうやって試行錯誤していると、答えを求めてやってきた人に対しても、自ら答えを出す感覚を味わってもらいたいと思うようになり、相手の中に育まれる考えや感覚をじっと見つめることの楽しさを知るようになる。
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