7章【8】 観察力は自らの動きを知ることで鍛えられる

〝自分に対する観察力がある〟とは、〝観察が抜けたところが少ない〟ということである。

 誰にも、いくつもの抜けているところがある。人間が一日の中でやることにはそんなにたくさんのバリエーションはない。朝起きてからの歯の磨き方、シャワーの浴び方を毎日工夫する人は少ない。また、それと同じように他人と話しているときの相槌の打ち方を毎回変えようとする人も少ない。毎回同じ相槌を打っているなぁとも思わないかもしれない。一日の中で自分を観察していない瞬間は案外多いものだ。

 自分を観察するよりも、忙しいときにはやるべきことや約束の時間に追われたり、忙しくないときにも周りの他人を気にしたり、ぼんやりとした空想に耽ったりしがちだ。また、街の広告やスマートフォンを見ているときには、見ているものに意識が向いて自分自身への観察が疎かになる。なかなか自分を観察するタイミングは意識をしないと持てないものだ。今自分がどのように動いているか、どのような気持ちでいるかを意識せずに、気がつけば、外のものにだけ意識が向いたまま時間が経っている。

反対に、休日に公園をのんびりと散歩しているときには自分を観察しているかもしれない。周りにあるものを見ながら、心地よさなど自分の気持ちを味わいながら歩いたり、自分が踏み出す一歩一歩にも意識が向いていたりする。足の裏の感覚を味わったり、自分の呼吸を感じたりしているかもしれない。このときは自分を観察できている。

「あぁ、最近のんびりしてなかったなぁ」などと思うときがそれである。

 自分に対する観察が細かければ細かいほど、相手と同調したときの相手の変化を感じ取りやすい。それは動画が一秒間に何枚の画像を使っているかというような感じだ。一秒の中にたくさんの画像があればあるほどきめ細かい動画になり、数枚だとぎこちない動画になる。画像が多ければ多いほど、動画が細かくなるように、自分に対する細かい観察ができればできるほど、相手のほんのちょっとの細かい動きにも気がつくようになる。

『あなたは、なぜ、つながれないのか:ラポールと身体知』より)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?