半月ほど毎日同じ店にワインを飲みに行った。
やはり求めているものは赤だと傾いていったところで出された白は、始めの方にこんなものがあるのかと思った赤の作り手のものだった。
その作り手は白の方が本領だと言われていると、タイミングを図ったように店主は出してきた。

結果、赤も白も関係がないのだと思わせるものだった。
白はどれだけ重くなろうとも、赤の持つ豊かさには至らないのではないかと思い始めていた。たしかに表面的な味だけでいえばそうかもしれないが、求めているものは味ではなかった。土壌と素材の豊かさによってもたらされた意識の変化を前にしたとき、それがどんな味であるかなどは瑣末なことである。
ようやく辿り着けたという感覚があった。毎日の飲酒からやっと解放される。

翌日、最後に一日経った状態を確かめに行った。
やはり求めているものは開けたてのときにある。時間が経てば経つほど、意識の変化をもたらす成分は抜けていく。抜けたあと、精神の昂揚が起こらないために液体の構造が露わになる。引越しの日、業者が運び出しを終えて、家具も何もなくなった部屋に一人いるときの寂しさのなか、一体これまでの自分の生活が何であったのかを、物の不在によって知るように。

「まだお時間はありますか?」
今日でひとまずは最後にしようと思っていたところの不意打ちである。今のもの以上が存在することはあり得るけれども、まさかこの日に続けて出されるとは思っていない。

陶器でできた不思議なボトルが出された。
同じ作り手のものを以前出されたが、特に印象に残るものではなかった。なぜこんなものを出してきたのだろうかとそのときは思っていたが、今日のための布石だった。
しかし、この作り手がそれほどのものを作るとは思っていなかった。

栓を抜くと一気に香りが広がる。店主はそれをランプの精だという。これまでも、良いものは精が空間に躍り出てきた。おそらくこの精が精神の昂揚を引き起こしている。精は時間が経つごとにどこかに消えていく。
コルクが渡され、その香りを嗅ぐとそこにもまだ精が残っていた。このとき初めてコルクの香りを嗅ぐ意味がわかった。

一つ前のものはワインを作っていたら精神に作用するものに到達したという感じがした。これははじめから精神に作用させるために作られたもののように思える。

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