『あなたは、なぜ、つながれないのか』

『あなたは、なぜ、つながれないのか』が出版されたときに書いたものです。加筆はしていません。

 明日、自分の書いた本が本屋さんに並ぶ。ずっと落ち着かない。

 本を書くことは、大変なことだった。書いているときはそのことばかりに集中していて余裕を失っていた。書き終えた後、編集者と表紙や帯について話をする。自分が納得のできるものを書けたらお願いしたいと思っていた、宮台真司さんに帯を、山本英夫さんに表紙の絵をお願いした。お二人から、僕はとても大きなものを残して頂いている。刻印されたと言っても良い。いくつもの会話や印象の断片が、僕の中に強く残っていて、それらが僕を生かしている。断られたら…と思うと、怖くて仕方がなかったが快く引き受けてくださった。

 その後、出版社の営業の方たちと各店舗の書店員さんたちのところへとお願いをしに行った。本をどのように扱い、どのように並べるべきか、皆が考えてくれていることを知った。僕がいくら必死に書こうとも、周りの人たちの力なしでは一冊の本は成り立たないのだということを知った。書いているとき、自分にはそんなことを考える余裕はなかった。

 本の中には色々な人との出会いが書かれている。ナンパしたり、付き合ったりした女性とのこともあれば、自分が師事し、敬愛している人たちとのことも。本と同様、自分自身も関わってくれた人たちによってしか成り立たない。しかし、その人たちがいないと生きていけないのとは違う。その人たちが与えてくれた情念が自分を作ってくれたような感じだ。だから、自分は自分が作ったものではない。多くの人たちの情念が集まってできたもののように思う。受けたときには心地良かったものも痛かったものも全て在り続けている。取り除かれるものはない。

 編集は江坂さんがしてくれた。僕自身は書き手として未熟であるし、情緒も安定しているとは言い難いし、思考も整理整頓されているとは言い難い。そこにじっくりと付き合ってもらった。初めて会ったのが三年前で、気功や動きについて教えてもらったり、一緒に平均化訓練に行ったりしながら、付き合いが続いている。一般的な意味でいうところの友人とは何か違う気がする。その関係をどう表現すれば良いのかが僕には分からない。きっと、いつでも、一方が成長をやめたときに、互いに見限る準備はしていたはずだが、そうならないことが僕にとっては異例のことだった。見限ることも、見限られることも自然と怖くはなかったし、今でも怖くない。いつだったか、「明日から会わなくなるかもしれないといつでも思っている」と話したことがある。

 いつでもどちらも互いに互いの隙を見つけている。しかし、見つけた隙が次に会ったときには消えていたり、消えかけていたりする。隙が見つかったことを、見つかったときに感知しているのだろう。僕も、話しているときに、自分の漏れが感知されたことを知り、それによって自分の漏れている部分を知る。

 本の話は三年前に出会ったときに提案してもらって、それからまた長い時間が経ったときに再び提案してもらい、二度目のときに書き始めた。

 本というものがどのようなものなのかは僕は知らないが、この本は優秀な観察眼と、豊かな感覚を持つ編集者なくしては決して出来上がらなかったものだ。また本の中で僕が描いたものは、僕と関わってくれた人たちが与えてくれた情念なくしては成立し得ないものだ。

 もしよかったら、本屋さんで手に取ってみてください。東京駅の丸善さん、池袋のジュンク堂さん、新宿の紀伊国屋さんの本店、南口店、ブックファーストさんでは、入ってすぐのところに新刊として置いて頂けるみたいです。明日の夕方か、明後日には並ぶとのことです。

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