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Aemilia.Arsとわたしたち

 イタリア、ボローニャにあるAemilia.Arsというレースの教室に通い始めた年だった。ヴェネツィアのサンマルコ寺院裏の趣あるレース店で、初老の店主とレース談義をしたことがある。習うレースの名を問われAemilia.Arsと答えると、10代からレース店で働きレースには詳しい店主であるにもかかわらず、それは知らない名だ、どこのレースだと再び訊かれた。


 誰もが知るヴェネツィアレース以外にも、数多くのレースや刺繍技術がイタリア各地に存在し、それらはいまも限られた小さな地域でひっそり語り継がれている。

 
 Aemilia.Arsが放つ命の息吹に魅了され、乏しい語学力も顧みずボローニャの教室に飛び込んでから7年になる今年、言葉を持たぬ糸の軌跡が紡ぐ生命の詩を伝えられたらと展示会を企画した。


 毎秋ボローニャ通いをしたといっても、レースを習得するには極めて短い滞在でしかなく、あとは独り試行錯誤を繰り返すだけだったが、ありがたいことに一昨年から一緒に針を動かす仲間ができた。イタリアやフランスに伝わる刺繍をよくする彼女たちは、私より以前にAemilia.Arsの名を知っていたが、とにかくこのレースに関わる情報が少ない。私のブログの記述から繋がり得たという、希有な経緯がある。


 机にしがみついて針を動かす私の様子を目にした友達は、呆れたという語調で言うのだ。

「今も夢中になれるものがあることはいいわよ」
「ステッチに集中すれば、いろんなことが忘れられるからいいでしょ」

「まぁね」と曖昧に応えるのは、胸裡にある本音を聞かされたら友も辛いだろうし、語る私もくたびれる。それに物語れば被った傷みで、自らを必ずや装わせてしまうだろう。それも嫌だった。


 糸目を追いながら問うたことの大半は、医療過誤から2年2ヶ月も病床に就かざるを得なかった夫についてだった。嬉しそうに頬を緩ませる場面も多々あったはずなのに、そうしたことはなかなか思い浮かばない。心肺停止から甦生された直後、血液も何も身体中の液体が血管から漏れ溢れる状況を食い止める手術に、同意したのは私でない。
 ふたりでは日常的に互いの生死観を話題にしていたし、それを明記したノートも存在したが、様態急変の連絡を受け入院先に飛び込んだ身が、そうしたものを所持しているはずはない。
 ある年齢になったら、自らの生死観を家族全体で共有しておくべきだった。


 意識が回復し一般病棟に移った夫に初めて面会するその日、状況によっては訴訟をも念頭に知り合いの弁護士に事前に会いに行った。その後、ウィルス騒動が急転拡大し、息つく間もなく私もひと月半夫の傍らのソファで寝泊まりすることになった。確かに緩やかであるが当時夫は回復の途次を辿っていたのだから、命を長らえさせた判断が一概に悪かったとは、今も言い切れない。

 事故を起した当事者が「まるで宇宙から落ちてきたものが命中したような出来事だ」と自身の過ちをとぼけたが、そうとしかいいようのない状況と夫は果敢に闘い、そして力尽きたと思うしかないが、その医師が夫の死後他病院に栄転したことと夫の苦悶の日々が重なると、思わずうめいてしまう。


 病室にレース用具を持ち込み、ベットの傍らで仕上げたのはマルゲリータだった。ボローニャの教室での初年、生まれたばかりの女児を抱く夫の写真がレッスンの最中に長男から届いた。その写真を見たパオラや仲間から赤子の名前やその意味を訊かれ「うぅぅん、マルゲリータかな」と応えた。

 帰国時パオラは孫への記念にと、マルゲリータの図案を渡してくれた。しかしその図案にすぐとりかかれるほどに当時の私の手は至っていなかった、持ち帰った図案を見せながら、あの子の3歳の祝いにはこれを仕上げ渡したいと夫に話した。
 一旦病室から出たら2度と入室できないと師長から明言されたものだから、寝泊まりするための荷物にマルゲリータの図案とステッチ用具を押し込んだのだ。
 不自由な暮らしに根をあげず、居続ける私に業を煮やしたのかもしれない。その後ウィルスの有無を検査をすれば、ひと月に1回入室を許可すると病院側はいってきた。以後月の半分は病室に暮らす1年が続いた。


 
 事故後の夫の記憶にマルゲリータの会話が残っていた。仕上げたマルゲリータのレースを披露し握らせた瞬間、溢れ出た想いの波に巻き込まれたように、全身を揺らして歓んだ夫の様子は、いまも脳裏から去らない。


 「空中へのステッチ」という異名をもつAemilia.Arsは、糸目にひと刺し針を差し入れる箇所もその角度も、すべてが刺し手の判断に委ねられる。自由という不自由さ。そこから生まれる悩ましさに、このレースに関わる誰もが振り回される。Aemilia.Arsを始めて7年が経つが、「次のひと針をどこに、どうやって差し入れよう」といまだ思い悩む。糸目を自在に選び取れるようになれば、それはもう素晴らしいひとりの職人(maestora)なのだろう。

 「上手くなりたかったら、針を持ち続けるだけ。」長くボビンレースに関わり、Aemilia.Arsに出会うまでステッチ針を手する経験をもたなかったパオラにそうと言われると、ぐうの音もでない。

 作り手は誰しも創出するものが美しくあるようにと、念じながら手を動かす。糸目の向こうに「美」は潜んでいる。でも美しさってなんだろう、そんなことに思いが巡ることがある。
 何もない空に糸を積み上げていくこのレースに、「美」に向かう指標は心細いほどに標されていない。この方へ向かえば「美」に巡り会えるのではと、ひと針ひと針自らに問うていく、ただそれだけだ。


アラクネーとも題されるこのヴェロネーゼの作品は、Dialetticaともいう
イタリア語でdialetticaは弁証法のこと


 
 ふと思う。あまねく人が希求する「平和」も、もしかしたら同じなのではないか。「平和」に向かう道筋を確実に示すことなど誰もできない。であれば美しさも平和も、それぞれが自らの指標としてその道筋を問い続けることでしか実現しないのではないだろうか。
 ちょっと厄介なことに思い至ってしまった。

 
 

 

 
 

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