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蓮糸のジャケット

  藕糸布でジャケットを誂えた。藕糸布とは、蓮の繊維を撚り合わせた糸で織られた布だ。蓮茎を数本束ね周囲にさっと刃をひと回してくるりと左右に引くと、白い数本の繊維が引かれ出る。その生まれたばかりの繊維を、わずかに湿らせた作業台の上ですっと撚ると、糸になる。1度の作業で績む糸の長さは数十センチほどで、熟練した者が1日かけても出来る糸の量はわずか15gほどだそうだ。


 この蓮の繊維から紡がれる糸との最初の出会いは幼児期にある。本を読むというより絵本にある絵を眺めるのが好きな子どもだった。講談社の絵本シリーズになぜか愛着があり、無残に傷んだ絵本を高学年になっても抱えていているものだから、いい加減処分するよう親に言われても、なかなか手放せなかった。その絵本シリーズのなかに『中将姫』の伝承話があった。私が育った頃の絵本といえば昔話であって、昔話といえば継子譚の類いがずいぶんとあり、そういう意味では陰湿な継子いじめの話に日常的に触れていたわけだ。
 當麻縁起に由来する中将姫の物語も『鉢かづき』『落窪物語』、グリムの『ヘンゼルとグレーテル』『白雪姫』同様の継子譚だ。継母に疎まれ命を狙われたお姫さまが、常日ごろの深い信心のおかげで延命でき、その報恩に阿弥陀さまや比丘尼の助けを得たお姫さまが、一夜にして蓮糸で曼荼羅を織り上げたという内容だった。

 いじめられた継子でしたが、最期は幸せに暮らしましたとさ、いう展開で通常おさまる継子譚にはめずらしく、『中将姫』の話は、曼荼羅を織り上げた後もさらに祈りに精進し御仏のもとに昇天するという清廉な終いで、そこに蓮糸という夢のような織り糸が絡み、子ども心に印象深く響いた。


 中将姫縁起に由来する根本曼荼羅を本尊とする當麻寺は、奈良の二上山麓に建つ。中将姫伝承に想を得て書かれた『死者の書』に幼少時から想い描いていた蓮糸の記憶が重なり、寺を訪ねたことがあった。古典を学ぶ生徒だった当時は、時間があれば夜に銀河という電車寝台で東京を発ち、早朝から奈良や京都を巡っていた。静謐な室生寺の後に當麻寺を詣でたのがよくなかったのか、それとも蜘蛛の糸とも紛う繊細な糸と清らかなお姫さまの寺という想いを過剰に膨らませていたからだろうか、まずは寺の境内の規模の大きさに圧倒され、加え曼荼羅の精妙な綴は絹糸に拠るものと、不勉強者はそのとき初めて知り、二重に落胆してしまった。なんとも不信心極まりない寺詣だった。



 以来、勝手に架空の糸と諒解していた蓮の糸、藕糸が実際のものと知ったのは、戦火で途絶えたクメール織りを追い訪ねた織田有でだった。そこの女主人から藕糸の袱紗を最近入手したと偶然聞かされ、声をあげ驚いた。

「蓮の糸は実在する糸なんですか?」

 お見せしましょう、と差し出された袱紗を手に乗せ静かに指を滑らせると、蓮根を食んだときの、あのかすかに粘りの感覚が糸の1本1本から伝わってくる。ミャンマーの高地に広がるインレー湖の蓮から採取され、織られた藕糸布と聞いた。


 それからまたどれくらいの時が経ったのだろう。昨年思いも寄らぬところで、再び蓮の糸で織られた布と巡り会ったのだ。


 夫が入院していた病院の近くに、外から眺めるだけでも楽しい服屋があった。鋳物枠のガラス扉の向こうにのレトロな人体に、いつも注文服らしい風情の婦人服が着せてある。一貫したテーマを醸すその店のいろいろを眺めるつかの間は、家と病院を行き来するだけの私の小さな息抜きだった。

 病院に向かうある日、人体に好きなピスッタキグリーンのコートが着せてある。その日の夫は状況が落ち着いていたのだろうか、それとも家と病院を行き来するだけに支配された日々にあって、急に別なことをしたくなったのかもしれない。すぐに駅へ向かわず店の扉を押し開け声をかけると、2階から店主らしい青年が降りてきて、彼に人体の着るコートを試着したいと願い出た。

 店主は息子ほどの若さというのい、服や映画の嗜好感覚が私ととても近く、ヴィンテージの小物を配した空間も心地よかった。思わず長居してイタリアのレースをしていることまで話し出してしまった。いまはレースだけだけれども、以前はアジアのテキスタイルをもとめタイやラオス、カンボジアなどを旅していたことまで白状すると、ちょっと待っていてください、と言い残しさっと上の階にあがり、2枚の布を抱え戻ってきた。

 「ミャンマーで買ってきた蓮糸の布です」

 「えっ、藕糸の?」

 小さな袱紗でしか見たことのなかった蓮糸の布がふた色、高位な僧侶が纏う色合いと蓮糸そのままの色の布が、目のまえに広がった。


 Aemilia.Arsを学ぶためボローニャに滞在する今秋同時期に、ヴェネツィアではレースのビエンナーレがすでにひらかれている。その行事の一環で私たちのレースもPalazzo Mocenigoでデモストレーションするから、私も参加するようにと連絡がきた。Mocenigo家が賓客をもてなしたあの重厚な空間で、さて何を纏うかと思い巡らすうちに、あの藕糸布が浮かんだ。


 店主に秋のイタリア行と、夫と1年暮らしたヴェネツィア町をレースのことで再訪することを話した。思いも寄らぬ医療過誤で命を落とさなかったら、また一緒に旅に出ただろう夫に「一番寄り添う布と考えたら、あの藕糸布が思いついたの」



 中将姫の絵本にあった藕糸の曼荼羅に始まりで、そこで刻まれた印象が次に本物の藕糸との出会いに繋がり、とうとう大切に保持されていた思いの籠もる蓮糸布を、では服にしましょうと店主が差し出してくれる体験まで結び着いた。まるで糸継ぎをしながらずっとステッチが繋がれていくAemilia.Arsの物語のような服が、長い時間の末に手許にきてくれた。


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