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庄野英二「星の牧場」フランス語訳登場

数週間前に「星の牧場」フランス語版販売のご相談を、庄野英二さんの孫娘である小林由佳理さんよりいただきました。

恥ずかしながら、数々の児童文学賞を受賞したこの名作を読んだことがなかったので、早速図書館で借りて文庫本を読み始めました。戦争で南国へ送られるモミイチ、愛馬ツキスミとの別れ、記憶をなくしての帰還、牧場での日常、蘇る記憶の断片を美しい日本の里山の自然描写とともに伝えていくお話にすっかり魅了されてしまいました。ジプシーたちとの交流、演奏、テキストの中に音が潜在し、オーケストラの聴いているような体験でした。モディアノの記憶の芸術、星の王子さまの哲学をまぜ合わせたような児童文学に心を奪われました。

「多くのフランス人の目に留まるとよいのですが…」と庄野英二さんの娘、小林晴子さんが友人でもある共著のマーシャさんと長年温めてきたフランス語訳の夢。ただ販売するだけではもったいないので、書面にてフランス語訳に至った経緯など、小林晴子さんにいろいろお話を伺うことができたので、まとめてみました。

小林晴子さんからの手紙。
右下のポストカードは、庄野英二さんが由佳理さんをモデルに描いた油絵。

Q : フランス語翻訳にいたった契機

共訳者のマーシャは、1973年に父庄野英二が教える大阪帝塚山学院に留学のため初めて来日しました。ホームステイ先の準備が整っておらず、我が家に一か月仮住まいをしました。白系ロシア人の血を引くマーシャは、チェーホフを愛する父ともフランス料理修行中の母とも、フランス語や映画に夢中であった私とも仲良しになりました。その後日本とフランスを往復しているマーシャと私の間で、「星の牧場」をフランス語に、という計画が起こり、二人で会っては作業を始めていましたが、仕事・子育て・家族の理由であっという間に30数年が過ぎていました。そして3年前世界はコロナ禍に…。ある日マーシャからもう一度翻訳の提案があり、Oui!と答えました。コンピューターやスカイプの普及のおかげで、空白の時間は縮められ、翻訳作業はては挿絵までメールで交換できるのです。
こうしてマーシャと私は、互いの国への文化、言葉への尊敬、インドシナ半島の文化への尊敬と愛(例えばアンコロンのような竹の楽器を奏でたり、手織り手染めの布を纏うなど)憧れの気持ちを一つにしていたと信じております。

Q:翻訳にあたり一番苦労した箇所はありましたか?

1,動・植物の名前などフランスと日本の図鑑を参考に出来るだけ近いものを選びました
2,文章は1960年代でもていねいすぎ、繰り返しなどゆっくりした感があり、ましてフランス語で表すと少々違和感があるかもしれませんが、マーシャがあえて原作に近いリズムにこだわってくれました
3,思い切ってイラストは自分たちで描いてしまおう決めたものの初めてのことで大変でした。私はスケッチのように題材を見て(文章に忠実に)描写する方法しかとれず、マーシャにはモミイチの心の中の空想や幻想的シーンをお願いしました。

Q:お父様との思い出

父は大切な青春の十年間を戦争で失ってしまいました。戦後はそれをとりかえすように教師生活の傍ら自分の家族も一緒に絵を習い、スケッチに出かけました。星の牧場の初刊には、プロの長新太さんと並んで挿絵を担当しました。私も今回はそれをならってマーシャさんと私の二人で挿絵に挑戦しました。(おっかなどっきりではありますが)

Q:お気に入りのシーン

私は意外に、戦争から牧場に戻ったモミイチが幻聴など心配をする牧場主に、町に医者に連れて行ってもらうシーンも好きです。金魚を買ってもらったモミイチはたらいに移し、金魚と一緒に月が水面に映っている光景なども美しい、と気に入っております。

Q:フランス語刊行後のフランスでの読者さまの反応

フランス語版はジェノバで印刷・校正され、娘が果敢にも携わってくれました。まだ刊行されたばかりでフランス人の反応は全然わからないのですが、ジェノバの娘の友人は「二人の絵が両極端で面白い、まるでピカソとセザンヌのアンサンブル!」なんて素敵なお褒めの言葉をくださった人もいるとか。父のエッセイ集を何冊か出版してくださった編集の疋田珠子さんには、「フランス語への翻訳、よく頑張りました。英二先生の本が世界に広がる一歩になりました!」とお褒めの言葉をいただきました。こうしてフランス語版の販売を娘の友人を通して知ったレシャピートルでお願いすることになりました。多くのフランス人や学習者さんの目に留まることを願っております。


小林晴子さんによる美しい挿絵

美しいフランス語に訳されたファンタジー溢れる不朽の名作「La pâturage aux étoiles」を、多彩な挿絵と共にぜひお楽しみください。


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