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物書きはからっきし

 11月も早く、世は未曾有の12月に突入しようとしている。とはいえ、今年の秋はほぼ冬に占領されてしまったように思える。我儘。

自己紹介とかは特に考えてなく、一言器用貧乏かFラン大学生とでも添えておけばある程度の指標はつくと思う。

 さて、初めてこういう文章を書いている私だが物書きは嫌いではない。いわゆるウマ娘の二次創作に9ヶ月、60万字余りを捧げている実績がある私からすればたかが1000字。大学に行くまでの時間があればそれとなく文は書ける。

物書きをこうして始めるちょうど1年前、二次創作の物書きを始めたと考えると受験期なのに何を現を抜かしているかという感じだが、懐かしさも感じる。

 物書きの片鱗は中学2年の時からあった。

『星の花が降る頃に』

私たちの世代なら国語の授業でこの作品を扱っていたのではないか?

あらすじをざっくり説明するのなら、鈍感な女子中学生と陽気なサッカー部の男子中学生の日常、そしてキンモクセイを通じた軽いラブストーリーみたいなものである。このセリフを聞けばもしかしたらピンとくるかもしれない。

 「───あたかもしれない。」

この"あたかも"という言葉について特に深い説明があるわけでもなく、1つのキーワード、ギャグの一貫として存在していたはずだが、この一言はどうしても記憶に残っているのではないか。

恥ずかしい話、私はこの作品の二次創作も書いたことが当時あった。物書きのレベルとしてはさほど今と同じくらい拙いとは思うが…。

 というより私、あんまり小説など読まないのだ。当然文のレベルの低さもそこに落ち着く。ただ、そんな私でもハマった小説を二つ挙げるなら

「福音の少年」

「春や春」

この二つは当時中学生の私を物書き好きにさせたいわばターニングポイントでもあった作品だった。あらすじを書くとまた長ったらしくなるのでここでは割愛。またどこかで紹介できたら。

 もう一つ自称しがない物書きとして私の文の書き方を教えると、オチはぼんやりとだけ考え、中身は書きながら辻褄を合わせていく、いわば自ら到着地点の示されている地図を捨てて迷宮に入っていくような、そんなスタンス。今もこうして文をつらつらと並べているがどうオチをつけるかはまだ決まっていない。

この長ったらしい文をみてみんなはどのように感じているのか、少し考える。

退屈なのか、共感を得れているのか。

最近は子供のような単語を無造作に羅列してっているだけの文を打ちすぎているせいでこれがちゃんとした文なのか、自信はあまりない。

 久しぶりにこうしてまともな文をただ書いている時間がとても懐かしい。6月終わり以来の創作だった。

暇になり、やることが無くなったのなら、こうしてただただ大和由来の単語をただ組み合わせるだけの作品を作るのもまた1つの楽しみとしてはいいかもしれない。

と、戯言を言えば1200文字に達してしまった。ここまでで約30分ほど。


noteを始めて、色々書いてみたいことはあったので次からはちょくちょく軽い日記みたいなものをつけれたらと。


それではまた忘れた頃に。





───"あたかも"浮浪人のようだ。

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