空襲があった日、命を救った地下鉄

 戦時中、私の父親は大阪市の日本橋近辺に住んでいました。1945年3月、大阪は米軍機による大規模な空襲の被害を受けました。米軍は市街地の空襲に爆弾ではなく、焼夷弾(石油を詰めたもの)を使いました。木造家屋が密集した地域は焼け野原となって、約4千人が亡くなりました。当然ながら、重大な戦争犯罪です。
 私が子どもの頃、父は「空襲の日も地下鉄は走っていた」と話していました。私は半信半疑で聞いていました。
 実は戦時中、地下鉄に避難することは禁じられていました。危険だから、あるいは軍用のためというのが理由のようです。
 しかし、最近、ネットで見つけた記事によると、空襲の翌日の早朝、実際に地下鉄御堂筋線が乗客を乗せて運行したということです。父親とその家族(両親、姉妹兄弟)は全員無事でした。もしかすると、動いた地下鉄に乗って避難できたのかもしれません。そうであれば、車両を運行させてくれた当時の職員の方々には深く感謝しなければなりません。父が亡くなる前に聞いておかなかったのが残念です。今から70年以上も前の話です。
 今、ウクライナではロシア軍による攻撃から逃れて、多くの人びとが地下鉄に避難していると伝えられています。人びとの無事を祈りたいと思います。

参考
『いのち運んだナゾの地下鉄』 野田道子、藤田ひおこ  毎日新聞社

 テレビドラマ「ごちそうさん」(NHK)の中に、この地下鉄運行の場面があります。

空襲の日、電車は避難者を乗せて走ったのか?(鉄道模型モールBlog)




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