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鳥も聴き惚れるベーゼンの調べ ー務川慧悟ピアノ・リサイタル@八ヶ岳高原音楽堂


🎹務川慧悟ピアノ・リサイタル
▪︎ 2023年6月4日(日)14:30開場 / 15:00開演
▪︎八ヶ岳高原音楽堂

当日のプログラム



我が推し、務川慧悟氏は言った。
<幸福と恐怖、表裏一体の異なる二面を兼ね備えた、不思議な感覚である、そんなことを森を歩く時、いつも思う>と。


八ヶ岳高原ロッジから音楽堂まではバスで送迎もしていただけるのだが、そこを敢えての徒歩! まあゆーても10分くらいではあるが(笑)新緑の森に分け入り、足跡を辿るような小道をアップダウンし沢を横切る私は、おおおマイナスイオン! おおお空気がうまい〜と幸福を十分に味わいましたぞ。と同時に、おぼつかない足元でよろけたら大変、ここでお仲間の方々とはぐれたらという恐怖も味わいましたぞ。いや、なんか違う?
でも推しがリサイタルを行うというからには、行かずにはおられましょうや。ということで特急「しなの」と「あずさ」を乗り継いで行ってまいりました八ヶ岳高原。そのレポートです。(前フリからもう長い……)

森を抜けると演奏会のご案内


小道を10分ほどで抜けると、森の中に現れる瀟洒な佇まいの建物。これがあの有名な八ヶ岳高原音楽堂! まさか自分が訪れる日が来るとは思ってもいなかった。よく整備された芝生とアプローチを通り、建物の中へ入ると、「いらっしゃいませ」と、係りの方からホテルクオリティのお出迎えを受ける。
優雅な気持ちになりながらチケットを取り出すと……カーン! いきなり戦いのゴング、席決めのくじ引きターイム!
座席表の紙筒が何本も立っていて、そこから1本を引く。開いてみると1席だけ黄色のマーカーがされていて、そこが今日のお座席というわけ。阿鼻叫喚、いやそんなことないです、皆さんお上品です。それにホールに入って思ったのだが、これは全てS席よ。素晴らしい〜! こ、これがあの有名な八ヶ岳…(以下略)。

全てS席クオリティ!


時間となり、務川慧悟さんが木製のドアから登場した。グレーのスーツに海老茶色のシャツ。いつもの都会のホールを離れ、いつもの観客の皆さんも車や「あずさ」を乗り継いでやって来た、木の香り漂う音楽堂。非日常のこの空間で務川さんの姿を目にするとまた新鮮な心地がする。務川さんはどうだっただろうか。客席を見渡してから一礼後、早速演奏が始まった。

🎵ラモー:ガヴォットと6つのドゥーブル


最初の音が鳴った瞬間から、ベーゼンドルファーの音のまろやかさに気づく。自然の中に溶け込むような、ふんわりとした優しい音色だ。
ここで演奏する喜びを口にしていた務川さんだが、表情はいつものように穏やかだ。
私はいつも開始から数分間は興奮と緊張で呆然としてしまうのだが、もちろん今回も同じ。演奏する務川さんをホワーンと見つめ、流れる音楽に身を委ねるだけだった。第4曲の鮮やかな手捌きや終盤の軽やかな跳躍、思いを込めた休止など、前日(※6/3しらかわホールでの公演)と記憶の答え合わせをするように聴いていた。だからこの時点ではまだ風景は目に入っていないというすげーポンコツ(笑)。

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🎤マイクタイム(1回目)

演奏が終わり拍手を受けてから、務川さんがマイクを握る。いつものように私の汚メモから書き起こしてみる。

①八ヶ岳高原音楽堂について

「本日ははるばる…大抵の方がはるばるですよね(会場笑)お越しいただきありがとうございます。
こちらの音楽堂は、ずっと写真で見てきた憧れの場所でした。演奏会が決まってからは、もう何日も前から天気予報を毎日チェックしていました(笑)。今はちょっと曇ってしまったのですが、リハの時は快晴だったんですよ。でも今日のプログラムは、割と暗めだからちょうどいいかもしれない。
中学生の頃、将来は長野のガラス張りの練習室を備えた家に住み、たまに東京に出る暮らしがしたいと友達に話していたのですが、このホールはまさにその夢の練習室そのものですね。僕は自然と太陽が好きなので、リラックスしてリハーサルができ、今も楽しんでいます」

②プログラムについて

「昨年ラヴェルをレコーディングして以来、プログラムには毎回ラヴェルを入れることを使命としてきました。今回もラヴェルを入れようと思い、最も自然を感じさせてくれる〈鏡〉を選びプログラムの中心に置きました。
前半はフランス物、フランスとフランスに関わりある曲を入れました。
最初のラモーはフランスの作曲家で、演奏した曲は彼の晩年期の作品です。
次に弾くサン=サーンス、フォーレ、そして後半のラヴェルも皆フランスの作曲家で、しかも今お話しした順にそれぞれ師弟関係があります。彼らの音楽はそれぞれの師弟間の影響より独自性が感じられるのですが、中には弟子としての繋がりを思わせる箇所もあるので、そんな部分を聴いていただければと思います」

フランクはベルギー生まれですが、フランス国籍を取りパリ音楽院に通いました。書法としては、サン=サーンス、フォーレのようなフランス的なものに加え、ドイツ物に多い哲学的な要素や多文化の影響が見られ、個人的にはそこに魅力を感じます。フランクは若い頃よりも晩年に傑作が集中していて、その頃に書かれたピアノ曲はほぼ2曲。今日演奏するのはそのうちの1曲になります。
どうぞ、素晴らしい景色と共にお楽しみください」

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🎵サン=サーンス:アレグロ・アパッショナート 嬰ハ短調 作品70

スケールがキラキラキラを放ちながら駆け上がって行く。その眩さにくらんでいると今度は素早いパッセージに翻弄される。職人のごとくピアノに向かう推し。音の運びというかセンスが素敵だ。緩徐パートは、窓外の清々しい新緑に音が溶けていくよう。そして再び職人パート。ラストはこれでもか、これでもか、こ・れ・で・も・か! と念押しするような迫力。久しぶりに務川さんのこの曲を聴き、大拍手を送りながら思わず呟く。
「か、かっこいい〜!」
ある意味ハートをぐっと鷲掴み曲じゃないですか。いやあけしからん(笑)。

🎵フォーレ:即興曲第2番 ヘ短調 作品31

これも前日しらかわホールで聴いた曲。
さりげなさと美しさの同居がキラリと光る務川さんの演奏は変わらず。今回面白いと思ったのは、前日聴いたのと、窓外に広がる新緑を背景に聴くのでは全く雰囲気が異なるということ。これはベーゼンのまろやかな音色も大きく関わっているのは間違いないが、しらかわで聴いたときよりも優しく、温かみを感じたのだ。
例えるなら昨日は都会の喧騒の中で見える様々な人間模様という風情。しかし今日は高原の緑の中、いうなら窓の外はるか遠くに霞む山々に響き渡るメロディという風情。普段よりも俯瞰的に見渡すようなイメージ……とここまで書いてきて思った。そのまんまじゃん(笑)。

🎵フランク:前奏曲、コラールとフーガ ロ短調

フランクの代表作と言われる作品。曲の構成をおなじみWikipediaで見てみると、

前奏曲、コラール、フーガの3曲からなるが、主題は連関しておりそれぞれは切れ目なく演奏される。ダンディの証言によれば、はじめフランクはヨハン・ゼバスティアン・バッハに倣った「前奏曲とフーガ」の形式で作品を構想していたが、のちにコラールを挿入することを思いついたという。フランクは多くの作品で三部分(楽章)構成を採用しており、自分にいちばん向いていると感じている形式だった

Wikipedia「前奏曲、コラールとフーガ」より


曲が始まった時、外は曇り空の背景だった。奔流のごとく溢れ出す短調の前奏曲。短調、奔流、性急感。こういう曲調は本当に務川さんに合っていると思う。心の内のやるせなさを吐露するようなメロディ。転調してもまだ曲調は暗いままだ。窓外も陽が翳り新緑の光景は色を失っている。中間部、罪の重さを示すような重音からの逃避を繰り返すうちに、時折遠くに希望の灯がかすかに見えてくる。
曲がコラールに変わった。すると驚くことに次第に窓外でも雲間から陽が射し始め、新緑に色が戻ってきた。木立の向こうに遠い山の稜線も見分けることができる。<コラール>はもともと教会で歌われる賛美歌のことだそうだが、陽に照らされる高原を目にしながら聴くと、その音楽は自然に捧げられ山に溶け込んでいくような気がした。
フーガに入ると、再び曲は心象を映し出す様相を見せる。思い出を1人語るようなpp、繊細なルバートや和声の美しさ。務川さんは一つ一つの音を大切に鳴らす。ベース音が物語るラインが心の動きを表しているよう。左手の大きな跳躍からのメロディは非常に現代的でドラマティックだ。左右が異なる主題を奏する場面は、リズムやメロディの不一致から生み出される歪な美しさが立体的に伝わって来る。その音を窓外の風景が包み込む。一心不乱にピアノをかき鳴らす務川さんから生じる音珠が、光の粒となって新緑にキラキラまとわりつく。まるで季節が来て一斉に生命が芽吹くような光景。音楽と画(背景)とのコラボレーションによる特別な体験だった。


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前半が終わり、20分間の休憩となった。
八ヶ岳高原音楽堂ならではというか、外に出てゆっくり過ごす方がとても多かったことに驚いた。よく整備された芝生を散策したり、少し高台に登って上から音楽堂の全景を撮影したり、木々を眺めたり深呼吸したり。休憩時間の過ごし方としては理想ではないだろうか。

八ヶ岳高原音楽堂


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後半は再び務川さんのトークから。内容はそれぞれの曲紹介なので、ここからは曲の感想とともに書いていきたい。と思ったのだが、あれから日にちも経ってしまいましたね(笑)。そして私ときたら「汚メモ」と侮りつつもそれに頼りきっていたために、ほとんど感想が残っていないという状況です。あはは。というわけでほぼトークの内容のみ、感想は走り書き程度でお送りします。

🎵ショパン:バラード第4番 ヘ短調 作品52

ショパンは39年の生涯のうち後半生をパリなどフランス国内で過ごしました。移り住んでから作風は明らかにフランス的な影響を受けていますが、生活は合わなかった面もあったようです。完全に喜んでいるわけではないが、故郷に戻ることなく住み続けていた。僕も長らくパリに住んでいるので、パリの良さも悪さも分かります。なのでショパンの気持ちが理解できる気がします」

バラード4番は、ショパン33才の頃の作品。この頃はおそらく彼の最盛期で、その他にも英ポロ、スケ4 などを作曲し、人生において最も充実していたと言える時期です。それ以降は少しずつアクティブさが衰えていく。
僕は普段あまり曲に対して風景は浮かばないのですが、この曲だけは例外的に深緑色のイメージがあります。(窓の外を示して)ここから見える景色は新緑なので、深緑とは違うのですが、そんなことも思い浮かべながら聴いていただければと思います」

務川さんのバラ4、久しぶりだよな〜と思って調べたら、なんと皆さん、国内では2022年1月7日のロームシアター配信以来! もちろん国外では5月のスカラパリなどでも弾いていらっしゃるのだが、これはいかんでしょ(笑)。
そんな久々のバラ4は、いやあ心えぐられる。前日の横山幸雄師匠の貫禄のバラ4も素敵だったが、また違った味わい。織りなす深緑色の波紋。やっぱり務川さんのショパン、エモいわ好きだわ。

🎵ラヴェル:鏡

「最後のラヴェルになりました。そういえば、僕のCD「ラヴェル:ピアノ作品全集」が今日会場で売られているらしいです。(会場笑)この機会にぜひ買っていただければと思います。
<鏡>をラヴェルが書いたのは30歳、パリ音楽院を卒業した頃です。その少し前に作曲した「水の戯れ」でラヴェルは初めて印象派書法を取り入れたのですが、実験的でまだあどけなさが見られます。その後伝統的ソナタ形式を用いたソナチネを経て、彼の印象派書法はこの<鏡>で完成しました。30歳で最高潮を迎えたショパンに対し、ラヴェルはその年齢ではようやく歩き始めたところ。この曲が出発点なのです。
少し個人的思い出話になるのですが、ラヴェル生誕の街バスク地方の隣町サン・ジャン・ドリュズのラヴェル・アカデミーに4、5年前2週間行ったことがあります。ラヴェルが大切にしていた街、そして自然の中で「鏡」をメインにフランスの先生に2週間レッスン受けました。」

この日ちょっとした奇跡が起きた。第2曲「悲しい鳥たち」に入る時に、外から鳥の啼き声がしたのだ。もうタイミングバッチリすぎで、私も心の中で「おおっ」と声を上げたのだが、会場中の多くの方が、いや務川さんもそう思っていたそうだ。まさしくあれは奇跡の瞬間だった。務川さんが自然を感じられるこの会場ならではの曲として「鏡」を選んだと前述したが、まさにその目論見とおり、自然の光と影が映す景色や鳥の声などを体感しながら「鏡」の世界をたどることができた。

務川さんの話に出ていた「ラヴェルアカデミーでのレッスン」は2018年、さらに「鏡」と光についての体験を綴ったツィートを見つけたので、同時に貼っておく。


🎵アンコール

プログラムを終え、盛大な拍手に応えて再びマイクを握る務川さん。
「ありがとうございます。まずこの環境で弾けたことが素晴らしい経験でした。特に鏡の2曲目〈悲しい鳥たち〉の時に、ホトトギスが鳴いたのが驚きでしたね」とやはりあの奇跡には驚いたご様子。アンコールは2曲。

①バッハ:フランス組曲 第5番 ト長調 BWV 816より「アルマンド」

ベーゼンドルファーはパリでは演奏会で弾く機会が多いのですが、日本の演奏会で弾くのは久しぶりです。弾き心地がバロックに向いているなと思っていました。ということでアンコールはバッハを弾きたいなと(会場拍手)。
新緑に覆われたこの会場にちなんで、春を思わせる爽やかな〈アルマンド〉を演奏します」

②ビゼー(ホロヴィッツ編):カルメン幻想曲

2曲目は曲紹介もなくいきなり弾き始める。しかも超絶技巧の格好良さ。もう会場は興奮の坩堝(るつぼ)とはこのことですよ。皆さん興奮状態のスタオベでした!


アンコールが書かれた紙が配られた

すごい長くなった……(汗)。
というわけでその後は電車の皆さんは高原ホテルバスで再び「野辺山駅」に送っていただき「あずさ」で帰路につきました。SNSによると、務川さんも「あずさ」で帰京されたようですね。しかし想像以上に満足度の高い演奏会だった。そして務川さんにこのホール、めちゃくちゃ合ってる! ということでまたきっと務川さんはこちらでコンサートされるでしょうから、その時も元気に来られたらと願っています。

⭐︎推し散歩

八ヶ岳高原ロッジでゆっくり


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