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スピリチュアルについて思う事①

スピリチュアルな事柄について私の思いを綴っていきます。
精神世界の本来の姿や、我々が進むべき本当の道を示す事が出来ればと思っています。
とりあえず、私の歩んできたスピリチュアル黒歴史をお伝えしていきます。


私は自分の生き辛さをどうにかこうにか変えたくて、必死で自分に向き合う人生を送って来ました。

そんな中、見えざる世界の存在に気付きます。
それは15年ほど前の事でしょうか?
オーラ視やスピリチュアルという言葉が現れ始め、霊的な世界への情報が多く広まった時期です。
私は自分の存在意義にも意味を持たせたかったので、その世界観や自身の存在意義について、その世界の探求で何かしらの答えが得られるのではないか?と様々な教えを吸収しようとしました。

時には物理学や量子の世界へまで探求は及び、情報を手にしていく中
ある一つの教えに出会います。
それは引き寄せの法則、ザ・シークレットです。

当時は量子の世界についても概要は知っていたので、その教えの素晴らしさに感嘆し、もちろんしっかり実践していました。
しかし全く現実は変わりません。
意味が解らなかったです。

ですが当時の私には決定的に足りないものがあったのです。
私にはそれらを実現させる為の「人間存在としての下地」が全く備わっていなかったのです。

「私にはそれらを持てない、私は持っていない、私には出来ないだろう」という思考を強く持っていたのです。当時はその事にも気付いていませんでした。
もちろんその当時、引き寄せの法則の通り、自己実現を為された方は多くいらしたのでしょう。
ですが私にはそれが叶いませんでした。
というより私の設計にはそれらは組み込まれてはいなかったのです。

そして現実は益々悪くなっていきます。
私は精神世界の教え全てに絶望し、失敗し、多くの金銭も失いました。
*追記
この時はまだお金に関するブロックは相当強くあり、失った金額は一般的な人には多く感じる金額では無いと思いますが、働く事が困難だった当時の私にとっては多額でありました。
その頃は書籍購入のみでしたし、主婦の扶養内でのやりくりの中での出費でした。今後このお金に関する更なるトラブルも起こってきます。

続きます
その当時購入した貴重な多くの書籍も全て捨ててしまったのです。
もうやめよう、現実世界で生きていこう。小さく生きていれば、いつかは死ぬ、ただ私は毎日をこなし、いつか来る死をただ待とうと。

そうして数年間は、ひたすら現実に向き合い、この世界の住人としてひっそりと生きてきました。

私はうつ病を患って表社会から離脱し、夫に生計を立ててもらいながら
パートを数時間こなすのみの社会生活、人と関わる事を極力避け、誰にも気づかれないように息を潜めて生きる事を決意したのです。

ですが、当時は夫に対しての負い目や、自己価値の低さ、アイデンティティの喪失などから仕事(パートですが)を必死でこなしたのです。
徐々に鬱も回復し、ショートのパートタイムからフルタイムに変え、会社員と同じ(ではありませんが)時間働く事で、自分という存在に意義を持たせていたのです。
金銭的には夫には遠く及びませんでしたが、外に出て一定の時間働くという事に意義を見出した私は、周囲にも認めてもらいたいという気持ちの元、そのパート勤務に精を出したのです。

ところが、身体に不調が出ます。
両手のしびれと腱鞘炎の痛みが出始めます。手根管症候群でした。
右手に関しては速攻手術、左手は腱の手術となってしまい、パートを続ける事が出来なくなってしまいます。
片方の手術につき、半年ギプスの状態が続きます。両方の手なので一年間ギプス生活になってしまいました。
当然また無職です。

このころ、実父のアルコール依存症の症状も酷くなり、母親に暴力を振るったり、様々なトラブルが立て続けに起こります。
精神疾患を患っている妹の症状も悪化。
私の周囲は散々な状況に陥ります。

何が引き寄せだ!何も変わっていないし、むしろ悪くなってる!
インチキめ!(スミマセン)と本当に悪態ついていたものです。

当然です。私の放つ思考や波動、持っているエネルギーがそのまま返ってきたのですから。
今なら分かります。

今後、数年かけてこれらの認識が180度変わって行くのです。
ですが当時の私には考えられない程の思考転換が起こって来たのです。


②に続きます





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