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次の晴れた日に

この言葉の響きがすごく好き。
何でもない時にふと流れてくる言葉。
とゆー訳でなぜこの響きが好きなのかを考えてみた。
色々な事が頭をグルグル回ってる中で
このただただ意味のない事を真剣にやってみる。
なぜなぜ理論でレッツゴー。

理由その1
ヤフミさんがこの日記を読んでくれるの知ってるから。
会った事もないし会う事もないだろうけどそのやらしさは間違いない。
事実おれユータローが好きだし。バンドもベースでした。笑

理由その2
次の晴れた日にって
いついかなる時でも当てはまる言葉。
"次の"って1年後かもしれないし明日かもしれないし
もう来ないかもしれない。
気持ちの中に天気予報はないからね。
歌詞は天気とリンクさせてるけど。
それがまた好きな所。
泣いて泣き止んだ後には晴れるかもしれないし
楽しいことがあった後に寂しさがくる前振りでもある。

理由その3
次の晴れた日にがそもそも好き。
"冬に咲いたヒマワリ"
"自由って言葉 不自由に聞こえた"
おれは対極にある様な言葉の組み合わせが好きなのかも。
表裏一体とか好きだし。
"旅立ちを祝い歌う最後の歌"
とか好きだし。笑

理由その4
思春期を終え
青年期を終え
壮年期中盤を迎えるにあたって何か考えるところがあるのかもしれない。

いつか来なくなる

"次の晴れた日に"

……なんか後は搾り出す感じになってきそうだからこの辺で。




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