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日記

最近、考えることがまた多くなった。よくわかんないけど、なんか、死ぬ気がしたからかも知れない。でもまだ言語化の基礎ができていないというか、中身を詰めようとして逆にすっからかんという感が否めないので、これからもたくさん書いて書きまくってがんばります。

それで、堅苦しい内容の動画とかを移動中にみていたら、この方々に行き着いて、「あっこれだあああ!!!」と脳汁うまうま展開が久しぶりに来て、それから数本閲覧して、なるほどなあとたくさんためになりました。

僕自身は情報を出力するときに主に文章を用いるのですが、どうやら人それぞれに得意な表現が違うらしく、絵や図で可視化するのが得意な人とか、または音だったり、とにかく違うらしい。基本的に現代社会では文字上の情報のやりとりが主で、学校教育のなかでもいちばん重要視されるところでもあると思うのですが、例えば言語化するのが不得意だけどめちゃくちゃ能力が高い人がいたら、評価されづらいってわけですよ。これって、なんか嫌だなあとおもいました。
自分の小中のころを思い出すと、確かにそういうのあったなあと。自分は不真面目でろくに勉強しないでネットばかりの生活だったので成績は良くも悪くもありませんでしたが、文章を書くとか読み取るとかにおいては他の事よりできていました。確かに思い返すと、自分の特性がわかります。とはいえ勉強はしてなかったので美術の評定が一番よかったですが。←あほ
そんな怠惰な人間だけども、インドアで友達もすくないけど、言語化能力があったからここまでやっと生きて来れてたんだなあ…と気付かされ。
もし自分にそれがなかったら、全然違う人間だっただろうなと思う。正確云々ではなく、人間として生きていく過程で後づけされる思考のプロセスとかものの捉え方が。若干生まれつきのクセがあるにしろ、そこって後天的な影響が大きいと思う。ジェネレーションギャップが起きるのも、発育の過程の環境が違うから生まれるものだと思うし。
ゲージュツも、各人の見ている世界が違うっていうけど、つまりは情報の処理のされ方の個人差なわけで。たしかに、こうやって立ち返ると気づくことおおいなあ、です。
その知覚特性とやらを知ることで、どこで最大限に能力を発揮できるかを知れるし、良いことづくしだ。
・・・なんだか思い出した、中学の時書かされた、自己分析シートみたいなやつ。あれは私とかみたいな言語思考者にとっては良いかも知れないけど、他の人にとってはさっぱりだ。
だからまず、根本的なところから気づかせていく教育をするべきだと思う。脳みそ空っぽの中坊にいきなりそんな質問しても答えられる方がすごいのだわ。
なんかがっこーって、遅れてるし思慮が浅くていやだね!!!!
というわけでした。
完全に深夜のノリLevel100で書いているから明日の朝には何も覚えてないでしょう。
ねます。

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