インナーチャイルド

「帰りたい」

この言葉が口癖になったのはいつからだろう

外にいても家にいても

「帰りたい」

寝る前にも

「早く帰りたい」

帰りたい、返りたい、還りたい、反りたい、カエリタイ、かえりたい・・・

・・・一体どこへ?

考えてもわからないから

心が叫ぶままに声に出す日々


そうしたらふと、ついこの間の昼間に

昔なじみのおじさんが病気になったと聞いて


暖かい靴下をあげることを思いついた

だけど住所が分からなくて

ネットで地図を調べた

何を目安に調べたかと言うと

生まれ育った街の通っていた学校名だった

おじさんはその近くに住んでいる


そして!!!( ゚д゚)ハッ!!!!と思い当たった


ここに帰りたいんだあああ!!



通っていた学校の壁画には色とりどりの鳥が描かれている

地図の写真でそれを見た途端
ブワーッと思い出が甦った!

壁画の近くの畑でカブトムシの幼虫を育てたこと
友達とブランコの二人乗りをしたこと

友達と両手を繋ぎひたすらその場でクルクル回るだけで爆笑していたこと

ジンギスカンの歌に合わせてピョンピョン飛び跳ねて踊ったこと

文章を褒められたこと

リレーの選手になったこと

家の狭い廊下で一輪車の練習をしていたこと

学童の大きな木が大好きでいつも登って袋に樹液を集めていたこと

けん玉、竹馬、駒回し、オルガン、スライム

男友達とガンダムのミニチュア人形を交換したりメンコをしたり野球をして遊んだこと

駄菓子屋さんでスーパーポールを買ったこと

運動会でバンブーダンスをするのが本当に楽しみで練習していたこと

運動会が来る前に転校したこと・・・

小学2年生の7歳だった



一気に懐かしい思い出が蘇り


力が抜けた



「帰りたい」は

インナーチャイルドの言葉だったんだ・・・!!



転校する前までは本当に楽しかったね

ありのままそのままの自分自身で

みんなと仲良くやってた

転校してからは

男の子と遊ぶことができなくなって

自分の居場所がなかったね

女の子の遊びは苦手だったし

男の子は髪を引っ張ったりするし

辛かったねぇ・・・



親は共働きで忙しいし下に兄弟も増え

自分の悩みを聞いてもらえる時間など

一切なかった

誰にも言えなかったんだね



転校すると知った時、

バスで行くから!今の学校がいい!

って親に訴えたっけ

保育園から同じ友達もいる

同じ学校が良かったよね

楽しかったんだもの

そりゃあ帰りたいよね


転校先の朝礼台で挨拶するからって

真っ赤なワンピースを用意されて

泣いて嫌がったっけ

転校も朝礼台もワンピースも全部イヤだった


ここにこうして綴りながら

胸がいっぱいになって

号泣してしまっている




数年前に

「インナーチャイルド探し」

をしていたことがあった

というのも

いくら心に話しかけても答えがなくて

ポッカリとしていたから

そんな時に


LGBT関連の友達で美術学校に通っている子が

【その人の思い出の場所で写真を撮って大きなパネルにする】

という企画をしていて

一緒に地元の公園まで行ったことがあった

その帰りに

ひとりでたまたま学校の前を通って

昔の家や通っていた保育園や学校の近くを見てから

そろそろ帰ろうかなぁと

最後に何気なく思い出の道を振り向いたら



小学1~2年生くらいの
赤いランドセルを背負った自分が

ニコニコ笑ってこっち見てた

その瞬間


ボロボロ涙がこぼれてしまって

思わずしゃがんで

両手を広げたら


駆け寄ってきてくれたから


ギューって抱きしめた

「ここに居たのぉ?

知らなかったよー!

一緒に来る?

居たかったらここに居てもいいんだよ?」

って心の中で話しかけたら

「うんっいく!」

ってニッコニコの笑顔で頷いてくれた

嬉しくて嬉しくて

見つけたあああー!!

って泣いて喜んだ💕

手を繋いで帰ったような記憶がある


傍から見たら変な人(笑)


でも、ハッキリと見えていたから

あれはきっと本当に起こったことなんだと思う





たまに気が向けば

知り合いが誰もいなくなった地元に

帰ることがある

連絡先も知らないあの時の友達は

今頃どうしているんだろう


自分のことを欠片でも覚えてくれているだろうか




毎日つぶやく

「帰りたい」

の正体が見つかった話




この口癖が終わる日は

いつか来るんだろうか・・・?




ここまで読んで下さり

ありがとうございます😊💕



れお

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