見出し画像

実像を作りたい -モノから卒業する-

お気に入りだった人形を捨てた。
不思議だ、あの頃は彼女がいないと生きていけなかったのに。この子さえいれば夜のトイレだって、ママに怒られた日だって、全部全部乗り越えられたのに。そんな思い出があっても人形とさようならするのは簡単だった。子供、の象徴であるし、大人、と成長した今じゃ人形の助けなんて要らないものだって誰にでもわかるから。
お気に入りだった服を捨てようと思った。
これが難しかった。卒業の指標はどこからどうやって判断されるのだろう。
昔、派手な服を着れば簡単に個性が生まれて、その個性は私の人間性さえも作ってくれると信じていた。素敵な服を着ていれば、その下には必ず素敵な人間性の私がいるような。実際は個性も自信もない自分が情けなくて、素敵なファッションに身を包むことは最大のカーテンで。でも、そんなきっかけであっても服は私を強くしてくれた。
苦手なものは全部服のせいにできた。私が早く走れなくても、私が良い成績が取れなくても。そんなできることが少なくても、あたかも服という個性が私の「できる」部分だと感じさせてくれた。(今はこんなこと思わない、服にできるもできないもないと考える。)加えて、どんな陰口も服が飲み込んでくれた。あの子なんか変な服着てるよねって教室の端っこから聞こえてきた誹謗も、私にはセンスを認める賛辞と姿を変える。だって変な服をアイデンティティーとしてわざと着ているのだもの。

何か大きな出来事があったわけじゃない。ある時、ふっと鏡の向こう側から虚像がやって来た。ありのままは、幻想の世界よりもなおいっそう麗しい。ようやく、虚栄としてではなく趣向としてファッションと向き合うことができた時であった。
今日、私はその時よりも自分に合う服を選ぶことができる。もう派手な誰とも被らない服じゃなくても、色とりどりに個性を出すことができる。私の鎧であった服は、いつしか窮屈となった。今にも内側から弾けそうで、私に、そのすがって生きてきたものがこれ以上要らないことを感じ取る。強くさせてくれたものよりも自分は強くなった。

それは卒業だった。
ありがとう。

よかったらウェブマガジンのぞいてみてください!まだまだ至らないところはありますが、よろしくお願いいたします。

#fashion #fashionblog

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?