文脈のばけものは黄金に泣く



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ごく普遍的な「何かしら」が、多くの物語やなんかを通していつのまにか重厚な文脈を帯びてくる、というのはとてもよくあることなんだろう。
(冒頭しばらく、非常に読みにくい話が続きます。すいません)

もう少し具体的にいうと、
「りんご」は物体であり果物でしかなく、スーパーの一角や食卓に並んだり木に生ったりするにすぎないが、
例を挙げるなら——小岩井のりんごジュース、ニュートンの林檎、イヴとアダムが食べた知恵の樹の実(*1)、トロイア戦争勃発の発端、白雪姫の毒リンゴ、椎名林檎、Apple社、auroraのapple tree、そういや隣町では町興しの特産品としてりんごをまつりあげようと近年画策しているとか——とにかくそういう、
人間が後から後から付け足していった「お話」やブランド、象徴としてのイメージ、意味合い、

そういうものを日常の中で無数に経験していくにつれ、やがて自分の中にしか存在し得ない「リンゴ」像ができあがる……できあがるだろうか?しょせんどこまでいってもリンゴはリンゴな気がする。というかそうでなくては、人類の共通概念、相互意思伝達が可能な"言語"としての「リンゴ」たりえない。
だが物語を通ってきた分だけの、お前や俺が感受性を発揮してきた分だけの、リンゴへの「万感の思い」みたいなものは、その個人の中だけの、共有できない普遍性を持たないものとして形づくられるかもしれない。

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……今日したかったのは、そういうもののの話です。

自分は"黄金"
という語に触れる折、
まさにその「万感の思い」みたいな煮え切らない言葉でしか表現できない、ごく個人的な感慨にひたってしまいがちで、これはどうにも供養してやらんとならん情操だなと思い、こうしてここに日記じみた墓標を建てた次第です。

田舎っぺが必死に洒落こいて自分を盛り上げていた10代の終わりから20代の現在にかけて、元々金物はシルバーよりアンティークゴールドでずっと統一してきたような"ゴールド"好きではあったものの、さして黄金に縁があるような人生ではなく、連想ゲームで黄金といわれたらおそらくツタンカーメンとこたえるのが関の山程度の凡夫としてせかせかとやって参りました。

ただこの頃になって、好きだなと思った歌や漫画、小説に映画に史実の一節に、とにかく生活のあちこちでごく沢山の"黄金"を見聞きしてきたことがふと、気にかかるようになりました。
それというのも、YouTubeで知らない音楽をわかったような顔で矢継ぎ早やに聴いていた時、ふと「オウゴーン!」とド直球にサビで叫ぶ歌が流れてきて、その曲自体はあまり好みではなかったのに、妙ちくりんにも「万感の思い」のような何かこみ上げるものを覚えた、というところがはじまりでした。

この胸に去来する感じのあれこれは何だろうと思い返してみたところ、ああ確かに自分はこれまで黄金にまつわる物語をいくつも摂取してきたなということが判然としてきて、それらが重層的にこの脳の記憶領域に存在することによってこの感覚がひねり出されているんだとしたら、変な意味でなく、もう少し生きてみるのもわるくないかもしれない、と思ったりできるほどには自分のご機嫌をとれました。文章がねちっこい。

そして最後にせっかくなのでこの「黄金」への万の感情の土台となった物語のうちのいくつかを挙げようと思いましたが、いざ文字に起こしてみると結局フィクションより史実が一番パワーで殴ってくる感じがあったり、あれ?たったこんだけだっけとなったり、書くほどではないけどこれも確かに自分の中の一端だなと思うものがいくつもあったり、まったく思うことと思いを言葉にすることとの隔たりの深遠さにびっくりしてしまいます。それにしたってあまりにも別の生き物すぎる。


まずは『黄金狂時代』(The Gold Rush)を筆頭に、19世紀半ばのゴールドラッシュを題材にした物語はやっぱりわかりやすくて良い
序盤の雪山で開いたドアから入り込む吹雪で吹っ飛ばされるチャップリンは来るのわかっててもおもしろいからずるいし、黄金を求めつつも靴ひもをパスタみたいに茹でて食べる暮らしとかたどり着いた街での色恋とかそんなのばっかりで、黄金のおの字も出てこないようなシーンがほとんどなのも異常なほどリアルですごい

最近の漫画だと『片喰と黄金』はサラッと読みやすくて良かった
カタバミって花も好き。自分の住む土地ではあまり見ないけど、日本でもよく家紋に使われてきたらしく、パターンも複数あるけど蔓片喰(つるかたばみ)は特に好み

ゴールデンカムイは大好きだけど、あれは黄金ではなくあくまで金塊がキーワードなのでまた少し違う毛色がする。金を巡って各人の思惑入り乱れる人間群像劇という意味では、万感の思いのうちの三千は担えるくらい好き

史実から好きな話を引っ張ってくると、
49ers(49年組)と呼ばれる、1849年にカリフォルニアに集った数十万人の金鉱脈目当ての開拓者たちは結局一人の成功者も出さずに終わったこと、
むしろ開拓者に作業用ズボン(デニム)を売って財をなしたリーバイス創業者、新聞で金発見を広めつつシャベルや長靴を買い占めて高額転売した170年前の転売ヤーサミュエルなんたらとか、開拓者相手に雑貨屋とかやって最終的にはスタンフォード大学創立した人とか、金儲けしに集まった開拓者を狙い撃ちにして金巻き上げた人たちの方が成功を収めていった皮肉とか

このゴールドラッシュでカリフォルニアに一気に人が増えすぎて州にスピード出世したことによって、それまで南北で州の均衡が取れてた(南の奴隷派と北の自由派)のが崩れてのちの南北戦争への火種のひとつになってったこととか

(『アンクルトムの小屋』が出版されて人権意識的な面で北部の黒人奴隷反対運動が多少強まったりはしたが、根本的には北部の解放派は「破格の低賃金で働かせられる黒人奴隷が拡大すれば白人の労働者層の仕事が奪われる」みたいな大衆の不安感から「奴隷制をなくして黒人も国から追い出せば解決やん」系と、北部の工業的な産業体制的に「勤務先が厳密に縛られる奴隷より自由労働者層が増えた方が単純に産業全体の効率が良くなるじゃん』系とかそんなんで、本当に救いがない。それでいて、自分たちは奴隷使わなくてもいい状態にいるから、奴隷使わないとやってけないような南部の農業体制を批判して悦に入ってた面が大きいわけで、戦争に勝ったあとは後世に向けて「自分らが解放したった」って善人ヅラ振りまける"歴史"としてさんざん使い倒していくわけで、まあそれでも解放されないよりマシだったとは思うけど、本当にこのへんはえげつなさすぎて霞む)
(てかゴールドラッシュの話してたはずなのに、何話してもごく自然にシームレスに人種差別に繋がっていく国キツすぎる)

エドガーアランポーの『黄金虫』(The Gold-Bug)


稲穂の色を喩えて黄金と呼んだ農奴の歌とか

クリムトの黄金様式とか


ゴールドラッシュのあたりで熱が入って文字を打ちたい欲が満たされてしまった
黄金熱にうかされた
おわり



(*1)・単に実を食べた順で「イヴとアダム」としたが、妙なこだわりのある女性優位主義者と思われたらいやだなとか考えてしまった
・そもそも知恵の樹の実がリンゴかどうかは怪しいらしい。聖書の誤訳でリンゴになった説は有名だしけっこう面白い。実はイチジク説も有名だがコーランとかヘブライ語聖書とか辿っていくと割とマジでバナナかもしれないらしい。バナナ。

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