豹変する日々①

目次
1.極貧に喘いだ日々
2.モデル稼業に勤しんだ日々
3.国家の手先だった日々
4.小学生だった日々



1.
▼所持金550円で3週間生き延びた時のこと
"やり過ごすように日々を送る"を文字通り体現した
最後の1週間は身体が環境に適応していって
気づいたら1日のほとんどを眠ってたので早かった
"コアラやナマケモノが長時間眠る感覚"にかなり接近した
段々寝返りも打たなくなっていったらしく
ずっと枕にあたってる首の後ろとかの肌荒れがすごいことになった
あれを「床ずれ」と呼ぶんだろうと思った
お金が入ったあともまともに食事を摂れるようになるまで3日かかったけどそれに対するストレスはなかった

2.
▼冬に春服の撮影をした時のこと
積雪する地方なので雪かきの行き届いた(というかしてもらった)ビルの屋上スペースでやった
どうしても息が白んでしまうのでコンビニで氷を買ってきてもらってそれを口に含んで撮影した
真夏の山中で秋服着ぐるみ汗だるまになった時よりは幾分マシだった
当時は自撮りあげまくってたくせして、撮影関連のものを自分のSNSに一切載せなかった判断は褒めてちぎってやりたい 偉かった!

3.
▼国家の手先(末端)だった時のこと
枝葉の先すぎて、どんな職業なのかまともに説明したらほぼ確実にわかってもらえないような職に就いていた時期があった
ものそい平たくいうと国の金を使って地元の町づくり・町おこしに加担する仕事
とにかく職場の人間関係がサイコーだった
みんなでポケモンgoしに行ったり川に鮭見に行ったり、リーダーの自撮りを全員で回覧して(本人含む)爆笑したことは老いてボケても忘れないと思う
仕事も色んなことをやって楽しかった
なぜその時住んでたところが"良い感じ"になっていかないのか気絶しそうなくらい理解できた
このまま人が減り続けて一度滅びた方がよほど町の未来に希望が持てるかもしれない


4.
▼小学生だった時のこと
眉毛だけは松潤系統なので手入れなど当然していなかった当時は"良純"とあだ名されたこともあった
小児喘息が全盛期だったのでマラソンは生き地獄だった
走るほどに呼吸しても呼吸しても身体が獲得するものがどんどん少なくなっていく感覚があり過酷だった
たまに弟の忘れ物を届けに彼の教室へ行くとかなりモテた
色んな遊びを知っているサトウ君によくひっついていた
帰り道、サトウ君に好きな女子を問い詰められこれは逃げられないと悟った際、
好きな女子(見た目が好きなだけで性格は嫌いだったしほぼ喋らなかった)への気持ちをひた隠すために、よく絡んでいたおてんば女子の名を挙げた
次の日の朝には体育館中に広まっていて、俺がキックベースしに行くとおてんば女子本人やその他野次馬有象無象がすごい勢いで駆け寄ってきた
そのおてんばっ娘は暴力的で結構ひどいこともされてきたため正直厄介だなくらいに思っていたが、その騒動のあと若干かいがいしくなった
この腐れ縁は地元にいるあいだつまり高校まではわりと強く続く
大学で住む土地が分かれた後も共通の友達を介してわりと出会すことが多かった

個人の賞罰の面では、小6の時の版画の授業で突然覚醒しオスの鶴が羽根を広げてメスに求愛する画を、羽根一枚一枚までキッチリ掘り上げる(放課後何度も残って作業した)、結果校長からなんか謎の賞をもらう
教師には驚愕されその年の学校誌の表紙に勝手に使われ、同級生には突然の熱意に若干引かれて終わる
また、家では2つ下の弟に対してやりたい放題をかましては母親の怒号を一身に頂戴する反面、小学校では優等生の類だったためあまり罰を受けてこなかった。でも朝顔はもらったタネ全部枯らした。
そんな優等生も中高生編ではみる影もなく落伍していき……。(つづく)?

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