33歳の卵子凍結 2.きっかけ
1. 30歳の誕生日目前、はじめてのAMH検査
・「卵子凍結」を検討するより前に、初めて自分が「将来の妊娠」について考えたのは30歳の誕生日を迎える目前でした。
・とはいっても、「30歳までに結婚したい!」「30歳までに子どもを産みたい!」という同世代の友人知人も多い中で、30歳目前の私は結婚や出産(※両者は必ずしもセットではないが)に関する解像度が非常に荒かった。
・「30代前半までは仕事頑張って、結婚は35歳くらいまでにできるといいなぁ、子どもが欲しいかどうかは正直わからない」というのが当時の私の率直な想いでした。
・ それでも「30歳」という節目は、それなりに大きなものに感じたのか、「20代のうちにやっておきたいこと」を洗い出し、大小さまざま実行に移す、というのが当時のマイブームでした。初めてちゃんとした腕時計を買ってみたり、自宅でできる遺伝子検査のキットを試してみたり……。
・遺伝子検査キットは「生活習慣病などの病気発症リスクや体質の遺伝的傾向」を洗い出せるものなののですが、その結果通知を見て「将来妊娠できるかどうかの可能性も調べておいた方がいいのかな」とふと思い立ったのでした。
・ そんなときに「妊娠できるか 検査 独身」といったキーワードを検索して出会ったのが「AMH検査」なるもの。
・ これは、「血液中のAMH(アンチミュラーリアンホルモン)の濃度を測ることでAMH値から発育過程の卵胞の数(量)を推測することができる検査」すなわち、「血液検査で卵子の残り数が推測できる」というもの。私がお世話になった職場近くのクリニックでは3,000円程度で行なうことが可能でした。
・ 「もう全然、卵子が残ってないって言われたらどうしよう……。」という恐怖を感じながらも、私は意を決し、クリニックの予約を取りました。これまで、ピル処方でしか訪ねたことのなかった婦人科に入るのも緊張する……。
・ そんな気持ちとは裏腹に、検査は健康診断の採血と同じくらいあっさり終わりました。1週間後に出た結果は「年齢相応より少し多めの卵子が残っている(ということを示す値が出ている)」というものでした。
・ ほっと胸を撫で下ろした私は、「AMH検査を受けた」というのを心のお守りに、「将来の妊娠」というトピックを、頭の中の検討事項から一旦消したのでした。
(注:AMH検査は卵子の残数を推定するもので、卵子の質を確認するものではなく、妊娠確率を担保するものではありません)
2. 32歳、きっかけになった一言
・ 30歳の誕生日目前に「AMH検査」を行なった後の3年間は、仕事(&ときどき趣味)にほぼ全自分の時間を費やし没頭しました。
・ 再び「将来の妊娠」トピックが自分の目の前に現れたのは32歳のときでした。
・ とあるプロジェクトで、同世代女性と一緒に「女性の生き方とキャリア」に関して深く議論を重ねる機会がありました。
・ その中で、自分より2歳年上のメンバーの一人が話してくれたこと。それは、仕事と不妊治療の両立に悩んだ経験でした。
・ 彼女は私に「もし、いま特定のパートナーがいないのであれば、「卵子凍結」を検討してもいいかもしれない。過去に時間は巻き戻らないから」とも話してくれたのです。
3. 子無しか、高齢出産か
・ それは33歳の誕生日を迎えるまであと3ヶ月というタイミング。
・ 確かに、結婚の時期が決まっているわけではない。それどころか、結婚を考えているパートナーがいるわけでもない。自分は「いつかは結婚したい」とは思っているものの、それは今この瞬間ではなく、「いつか出産をしたいか?」どうかは、正直分からない。
・ でも「出産をしない」という人生を決めたわけではなく、将来のパートナーと、一緒にいるうちに「やっぱり子どもが欲しい」という気持ちになる可能性は結構高いのではないか、という気がした。
・ そして、33歳の誕生日に結婚をパートナーがいない場合、そこから仮に出会うまでに1年、付き合って結婚するまでに1年、その時点で私は35歳の誕生日を迎えることになる。すなわち、そこから子どもが欲しいと願い、出産に臨む場合は、どんなに早くても35歳以上になることが確定している。
・ 子どもを授かることはどんなに望んでも叶わない場合もあるし、それは女性の年齢だけではなく、男性側の原因の場合もある。どこまでも100%ではない。
・ でも、「あの時、ああしておけばよかった」という後悔だけはしたくない。
・ 子無し、あるいは、高齢出産。これまでの人生の選択には悔いがないが、これから先の人生のはその2択のいずれかであることが現実的になった33歳の誕生日、私は再び婦人科の扉を叩いたのでした。
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