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神童だったあなたへ

この文章はCreepy  Nutsを紹介してくれた友達と今も大きすぎる感情を抱える自分に向けて。

目が覚めてしまったためにオールナイトニッポンの前後で書き上げた、3分では完成しなかった散文。


幼い頃から言葉遊びが好きだった。だじゃれ、掛詞、押韻、アナグラム。もちろんラップも。
面白いことを特に是とする地元の文化があったから。テレビっ子ではなかったものの、エンタの神様やM-1、吉本新喜劇をよくみていた。面白いということ、笑い楽しめるということは生きる活力となる。
部活で漫才をする機会もあった。クラスメイトとノリだけで口でリズムを取ってセッションをする機会もあった。Twitterをやり始めたあとも言葉遊びを書くことは癖となって投稿した。似たようなことを考えてる人達にリプライを送って交流をした。

語感の気持ちよさというものは意味よりも優先して気持ち良いので、表現技術の中でもあまねく存在すると思う。ニコニコの文化にはまる中で、替え歌の歌ってみた、吹き替え、音ハメなどある意味勢いだけのもの、だがそれが時として何よりも面白い。カオスも救い。

近年、MCバトルをRPG形式で行うフリースタイルダンジョン(以下FSD)がテレビで放送されており、人気を博している(現在では放送終了している)。FSD挑戦者はモンスター、ラスボスと例えられる強力なMCたちにバトルを挑み、勝ち続けられるかというような設定である。このFSDの面白さは即興でリズムに乗って相手よりもうまく言葉を重ねて気持ちよく言い負かした方が勝ちという、どっちが勝っても視聴者は気持ちよくなれるところ。頭の回転、語彙力、煽り、呼応、流れを読む力、全てが“即興“であるが故に、至高の言葉遊びだと思う。美しい。この一瞬にしか生まれないライブの奇跡ってやつを信じたい。可能なら現地観戦したかったもの。ライブ主義。なにごとも現地に行きたい… 生が1番だと思う。


そしてFSDのモンスターの中に地元出身の人がいることは知っていた。むしろ知らされていたとも言えるかもしれない。それがR-指定。初代ラスボスの般若さんに2代目としてラスボスに指名されたすごい人。もちろんMCバトルもメチャメチャに強い。定期的に目に入ることもある、彼がいるバンドCreepy Nuts。すごそう(小並感)とだけ。ここでバンドとは書いたが、実際はHIP-HOPユニットである。よく知らない時の理解なんて適当。

なんとなくAlexaに“クリスピーナッツ“かけてと言ってランダム再生させたことは今年になってから数度あった。しかし再生されたものはよくわからない英歌詞だった。よくわからないなと思ったためにそれ以上聴くことはなかった。
読み方を間違っていたためなので今となっては惜しいことをしたと切に思う。もっと早く知っていればな。


転機となったのは、波長が合うこともあっていつかカラオケに行こうと口説いていた友人K(以下Kとだけ表記)との初めてのカラオケ。夏目漱石のこゝろは関係がない。多分言葉遊びについて、面白いことについて、のアンテナは本当に天才なんだと思う。なぜ口説いていたかというと、一つは普段1人でしか行かないと聞いていたのでみんなでカラオケは存外楽しい!それを味わって欲しかったため、もう一つはKの声が良いので歌声を聴いてみたかったため(これについては本人に言ったことはないかもしれないが)。声がいい人は歌声も良い。多分。

おそらく本来の目的としては達成することができたのだろう。たくさん歌ってたくさん音楽の話をできてとても楽しかった。そして友達の歌声も素敵だったということで幸せな気持ちになれた。このご時世に遊びに付き合ってくれる人間はみんなみんな大好き。

そしてカラオケはずっと好き。高校時代夏休みほぼ毎日こもってた時期があったくらい。好きになったアーティストの全曲カラオケとか勉強したり。学祭の打ち上げだったりオフ会だったりゲーム会だったり、楽しい思い出しかない。そのうちの一つにこの日が入ったような。布教したい曲もあったのだけれど、また布教させてくれ〜〜

本題はここから。このKこそがのCreepy Nutsのファンであり、FSDについても色々と教えてくれた存在である。多分その倍以上しょーもないことを話してる気がするけど。
KにはCreepy Nutsをよかったら歌って布教してみて欲しいという話をしていたものの、失礼ながらKの好きな歌を試しに聴いてみるかくらいの軽い気持ちで、布教される気はしていなかった。なぜなら洋楽の謎の音楽を想定していたから。

Creepy  Nutsの曲を“ちゃんと“聴いてみて感じたこと、それは「日本語のRAPやんけ!しかも結構激しめのかっこいいやつやんけ!」。思わずツッコミを入れざるを得なかった。のちに本家の曲も幾度となく聴くことになるわけだが曲の調子をしっかり真似てくれていたこともあってすんなり本家にも入ることができた。紙様、サントラ、日曜日よりの使者、生業、あと何を歌っていただろうか。

何曲かカラオケでCreepy Nutsを聴いていたなかで、かっこいいと漠然と感じていたことは間違いない。死ぬほど好きで気合入れて歌ってくれているのもとても強く感じたから。まず付け焼き刃で歌えるタイプの簡単な曲たちでもないし。

そしてキミはこう言う。「次の曲は全人類聞くべきだ」と。

「かつて天才だった俺たちへ」



苦手だとか怖いとか気づかなければ 俺だってボールと友達になれた。
頭が悪いとか思わなけりゃきっとフェルマーの定理すら解けた。ーー

幼い頃の全能感。そこにヒビが入った瞬間。可能性を否定する自身に生まれた劣等感。
これだ!!!冒頭の歌詞を見た瞬間に引き込まれた。キミが楽しそうに歌っている。この曲は歌えると楽しい!間違いない。好きなワードが並んでいる。

そしてサビへ。

ーーかつて天才だった俺たちへ 神童だったあなたへ
似たような形に整えられて 見る影もない。ーー

震えた。言いたいことを言ってくれている、そう感じた。そう、そうなんだよ。共感。激唱。熱く歌い上げたい気持ち、伝わってきた。


少し自分語りをすると、自分が打破したいと感じているもの。絵を描くこと、歌を歌うこと、文字を書くこと、笑いをとること、学ぶこと、すべてすべて好奇心を持ち続けること。
だれかが劣等感を持っているとき、したをむいているとき、なんとか前を向いて欲しいから干渉することがあった。お節介だろうけど。そんな人たちにこの曲を心から聴いてほしい、そう思った。そう、みんな聴いてほしい。

常日頃思っていることである。そこに食い込んできた。子供時代そうであったように、「天才なのでなんでもできる」「遊ぶために生きる」ということを目標にしている。童心少年を名乗っていたこともあったけれど、そういうこと。自分が天才だと思って生きていくと人生は楽。自己肯定感だけは自信がある。

別項でcosMo@暴走P氏のゆるゆらり。童心少女と大人世界、ぼくらのコスモロジーなどと合わせてこの全能感や夢や希望について話したい。


話を戻そう。

「かつて天才だった俺たちへ」、この曲をキミが聴けと言った意味。この曲、この歌詞に込められた想い。それを知りたいと思った。

それがCreepy Nutsと出会った日だった。

はじめまして。


わたくしレモンと申すもの。

一旦筆を持つと止まらないな。
区切る。続きはまた今度ね。

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