キュルル被害者説

はじめに

これは「けものフレンズ2の批判」をすると同時に「キュルルの擁護(同情?)」をするという記事です。(需要不明)
解説のような形をしていますが実際はド素人が単に吐き出したかっただけの個人の感情をぶちまけた記事です。
筆者の意向により、キュルルは「キュルルちゃん」(三人称では「彼女」)と呼称し、本記事での主張は一貫して「キュルルちゃんかわいそう」とさせていただきます。
ここまでに挙げた太字部分の要素一つでも許容できないという方は閲覧非推奨です。

また、アニメの情報についてはうろ覚えで不正確なものを含む可能性があります。ご注意ください。

また、次の見出しからは書きやすさを優先し、主に「である調」を使用した文章を書かせていただきます。よろしくお願いします。


何故キュルルちゃんを「被害者」だと思ったか?

(全てではないものの)視聴者たちから「クズ」「サイコパス」「畜生」などと罵られて憎まれているキャラクター、キュルルちゃん。
実際にそう扱っている方なら既にご存知だろうが、彼女は訳もなくこう扱われるようになったわけではない。劇中の多くの描写を理由に性格の悪い人であるとされたのである。

しかし私は彼女のことをクズでもサイコパスでも畜生でもなく「被害者」として認識した。理由は単純だ。
元々想定されていた(であろう)キャラクターと実際の描写の乖離が激しく、結果ヘイトを稼いでしまっていたからである。
少なくとも私自身はそう感じた。

キュルルちゃんは元々クズ、もしくはサイコパス、あるいは畜生として創られたキャラクターなのだろうか? 答えはもちろんだろう。
それどころか、「良い子」として創られた可能性が非常に高い
11話での騒動を、この作品の監督は「キュルルの優しさが呼ぶ波乱」と表現した
製作陣はキュルルちゃんのことを「優しさを持ったキャラクター」として描こうとしていたのである。


いいところさがし

私は、「制作者が描きたかったもの」こそ、そのキャラクターの「真の姿」であると認識している。
作中での描写が上手くいかなかった場合、作品に映る姿は「真の姿」からはずれたものになる。
しかしよほどのことが無ければ「真の姿」が感じ取れるシーンも作品内に少しは残るだろう。

では11話まで、彼女の「真の姿」である(可能性が高い)「優しい・良い子」が表れているシーンを探して挙げてみよう。
※賛否両論なものや前後で台無しになったとされるものも含む
※あくまで「優しさ」なので思慮深さは考慮しないものとする
・自分にできる範囲でのお礼(絵を描いてプレゼントすること)をする
・偽傷するカルガモを気に掛ける
結果ではなく「助けようとしてくれた気持ち」を汲んでレッサーパンダにお礼を言う
・あまり絡みの無かった海賊ラッキービーストと別れる際にもお礼を言う
・良い物件が紹介できず落ち込むアリツカゲラをフォロー
・ヒョウ&ワニたちの喧嘩をトントン相撲で解決した際「よかった!」というがその理由は「喜んでもらえたから」
・落ち込んでいるマーゲイを気にかけ、ライブの手伝いを申し出る
(※この時点ではお芝居は中止のため、他に何かできることをという意味)
非はなかったが「がっかりさせた」という理由でイエイヌに謝る
サーバルとカラカルの身を案じ、危険を顧みず単身飛び出す
・傷ついてもなお戦おうとするイエイヌを気遣い止めようとする
・様子がおかしいサーバルを気遣い声をかける
・リョコウバトに頼まれかなり気合の入った絵を描く
「ビーストとも分かり合いたい」という思いを持つ

おまけ:こちらは批判も多いが個人的には好きなシーン
・海の上において博士と助手に急に体を持ち上げられ怒るが、その時のセリフは「落としそうになったじゃないか!」
 つまり博士と助手自身に回収するように指示されたサンドスターを落としてしまうことを危惧した発言であり、身に危険が及んだからといった自分本位の発言ではない

……こういうシーンだけ抜粋すれば彼女は本当に良い子なのだ。
そう、抜粋すれば……

ちなみに私は当初このアニメについて「温かい目で見よう」と思っていたため、「いいところを見つけよう」という視聴スタンスになった。(あとは考察を楽しむ)そして2話までの描写から、キュルルちゃんのキャラクターは「まだ幼い部分も強いが思いやりのある良い子」であると認識した。


全てを台無しにする「描写ミス」「描写不足」

さて、彼女の評価が一気に下落したのは7話と9話、そして12話である。


7話の一番の問題点はG・ロードランナーちゃんに本人が描かれていない絵を渡してしまったことだろう。
12話での描写を見るにあのシーンは二人の不和を描いたものではない
全くの偶然の産物なのである。キュルルちゃんに悪意はなく、ロードランナーちゃんも絵の内容に傷ついたりはしていなかった。
しかし、解釈の余地を与えてしまうような描写をしてしまったがためにあのミームが発生する一因にもなった。
(そのミーム自体は嫌いではないのだがどうしてもキャラヘイト要素が付随する作品が混ざるためあまり見られていない)

こうならないためにはロードランナーちゃんも描かせるべきであったのは明白である。
「リレーのときの二人の対決の絵でしょ? ロードランナー描いたらウソの絵になるし仕方ないんじゃないの?」などといった擁護もあるかもしれないが、そもそもあれはリレーのときの絵ではない
キュルルちゃんは絵のことを「さっきの続き」と言っていたが、「さっき」がリレーのことであるのなら「続き」はサーバルとプロングホーンのアンカー対決になるはずなのである。また、この絵ではバトンは描かれていない
つまり、あの絵はリレーの前にしていたレース(の湖が無かったIF)を描いたものだったのだ。

そしてそのレースでロードランナーちゃんは何をしていたかというと、上空から二人のレースを確認していた。そう、現実に即して続きを描いても遠景などに空を飛ぶロードランナーを入れることは可能だった
(ワープとかオオミチバシリはそんなに飛ばねえよとかは置いといて)物語の展開を大きく変える必要すらないのだ。
……んじゃなんで描かせてやらなかったんだスタッフ……


次に9話。
この話の一番の問題点はビーストとの戦闘の後イエイヌと別れるまでの一連のシーンだろう。他にも問題点はあるが、個人的にはここさえ良ければ他の問題点は許容範囲になりうるものだと思った。
キュルルちゃんが良い子であるという前提さえあれば、紅茶の件も「それほど落ちこんでいた」というフォローは可能なのだ。

では問題のシーン。

・自分のために傷ついたイエイヌに対し、労わることも感謝の言葉を述べる事もなくサーバルとの会話を続行
・(頼まれたとはいえ)孤独なイエイヌに対し葛藤もなく(一人で)「おうちにおかえり」と発言

うん、確かに酷いどうしてこうなった
では前述した「いいところ」から9話のイエイヌ関連のシーンを抜粋してみよう。

非はなかったが「がっかりさせた」という理由でイエイヌに謝る
・傷ついてもなお戦おうとするイエイヌを気遣い止めようとする

まるで別のキャラクターではないか。
また、9話の他のいいところも

サーバルとカラカルの身を案じ、危険を顧みず単身飛び出す
・様子がおかしいサーバルを気遣い声をかける

このように他者を気遣うものである。つまり、途中までは基本的に気遣いのできるキャラクターとして描かれている。
サーバルを気遣った直後おかしくなったのである。別の言い方をすれば、その時点でそれまでの9話キュルルちゃんが行方不明になっている。「気遣いのできるキュルルちゃん返して……」という気分である。

傷ついたイエイヌを気にかける描写(一人で帰る都合上イエイヌの傷がそれほどでもない描写も必要)とかさあ……「イエイヌさん……」の続きのセリフを入れるとかさあ……もうちょっと悩む描写入れるとかさあ……
「イエイヌが決別を決心し、それをキュルルちゃんが受け止める」っていう超重要シーンで何でそんな雑……
首傾げもアニメなどでよくある微笑みの表現なのに雑なせいで疑問の首傾げにとられてるじゃねえかどうしてくれんだオイコラ

……思わず文体が乱れたが、本当にここさえ良ければ9話は化けたと思うのだ。


12話に行こう。
ここでの一番の問題点は……

・崩れ行くホテルに取り残されたビーストを気にかけずそのまま思考からフェードアウト

……あの。ひとつ良いだろうか。

これちゃんと11話見て作った?

なんで? え? キュルルちゃんってビーストとも分かり合いたいって思ってたよね? 10話以降それしっかり描いてたよね? てか1話で目が合ったり5話で見つめ合ってたりキュルルとビーストの関係ってけものフレンズ2の軸の一つじゃなかったの? というか12話も「思いが通じた」みたいな描写してたよね?

返して!
ビーストとも分かり合いたいって思ってたキュルルちゃん返して!

いや確かに「10話で唐突過ぎる」とかいうのはあるけどさ、だからって12話の途中から無かったことにするのはないでしょ! 「あの描写なら生きてるでしょ」とかそういう問題じゃねえんだよ! 死にかねない状況で気にもかけてないのが問題なんだよ! ほかのキャラならともかくキュルルちゃんは気にかけないとダメでしょ! なんでその役割サーバルにやらせたんだよおい! どうしてそうやってキュルルちゃんの良い部分をどんどん殺してくんだよ! アンチかよ! ねえ!

またしても文体が乱れたが続ける。
これについてはもうどうしてこうなったとしか言えない
完全にド素人の案になるが、キュルルちゃんが「ビーストを助けようよ!」とみんなを説得する展開ではダメだったのだろうか?
ただでさえバトルシーンで燃え上がらせるのが苦手なけものフレンズ2、ならバトル以外の一致団結で燃え上がらせるのはありなのでは?
そして救出後、ビーストは少しフレンズたちを見つめた後に海へ逃走……という展開ではいけなかったのか?
フレンズたちや視聴者に「ビーストは分かり合える存在かもしれない」ということを示し、良い感じの続編フラグにすることもできたのでは?
まあ、展開は変えずとも気に掛ける描写を入れるだけでかなり変わったと思う。そしてラストのセリフの「もっとみんなの役に立てる」に「もっとみんなと仲良く出来る」を足せば心に残ってることにもなる……

……あまりにもむごい。ビーストに同情的な声も強いが、私はキュルルちゃんのことも憐れんでしまう。
「ビーストとも分かり合いたい」という思いを成就させてもらえなかったばかりか、その「思い」そのものを殺されてしまったのである。

良い子として生み出され、描写のおかしさで非道に捻じ曲げられてしまった彼女。
キャラクターに対し適切な描写を行ってほしかった……


キュルルちゃんの物語の結末

ここまで、「描写がおかしいせいでキュルルちゃんが悪そうに見える」という話をしてきた。
ここから話すのは「描写がおかしいせいでキュルルちゃんが不幸に見える」という話である。(正直ここについては描写ミスではない可能性もあるとは思うが)

ラストシーン、彼女は自身のおうちを「みんながいる場所(意訳)」として、「おうちさがしはもうおしまい」とした。

……記憶の中のおうちは? 涙してまで帰りたがっていたおうちは?
それを諦めた?

諦めた理由は何だろうか?

・自分のためだけに旅をするのに負い目を感じた
・記憶もないのに帰っても仕方ないと判断した
・おうちが元々なかったことに勘付いてしまった
・おうちに二度と帰れないことに勘付いてしまった

色々考えられるが理由そのものは問題ではない。
問題はこれらの「理由」を一人で付け、一人で抱え込んでいる事である。
精神的に無理をしているように見えてしまうのだ。
せめて、視聴者にはわかるように心の中を描写すべきだったのでは……
「○○○○だけど、大丈夫。ここがぼくのおうちだから」みたいな……
「だけど、大丈夫」この言葉が欲しかった……

おわりに

色々書きなぐったが、この記事で言いたかったことは「適切な描写を加えればキュルルちゃんは良い子に見えるはず」ということである。

そして、アニメ「けものフレンズ2」に「適切な描写を加える」ということをやっているものがある。漫画版「けものフレンズ2」だ。これはとてもお勧めできるものである。
是非最終話まで走りぬけ、キュルルちゃんを救済していただきたい。