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K-3 iii Monochrome matt editionと①

どうにもモノクロームモデル病を患っているようだ。typ262から始まったわたしの罹患は、K-3 iii Monoにまで及んでしまった。
白黒写真…この言い方の方が馴染みがある世代だ…は、まだデジタルなんて未来のお話だったフィルム時代から撮っていたせいもあるし、カラーなんて退色するものと相場が決まっていて、いつまでも変らない白黒写真こそ、後世に残されるべき媒体だと信じていたものだ。
スマホで簡単に写真が撮れるようになってくると、パーソナルな事柄をモノクロームに納めて起きたくなった。色なんて、脳が作った幻想に過ぎない。AIが白黒写真からカラー写真を作るよう、我々の頭は日々、光子が照らし出す造形物に勝手気ままな色を塗ったくっている。身の回りの現象を白と黒で描くと、より、本来の姿を捉えることができるのではないか? そんな、社会から距離を置く、ゾミア的な発想で、目の前の景色を他者に悟られることなく、傍若無人にモノクロームの世界に変えていくと、わたしだけの居心地の良い世界が構築できる。これは、わたしのアナーキズムだ。

K-3 IIIが発売しても、K-1で懲りていた身としては食指は動かなかった。レンズのラインナップが少ないし、明るいレンズもなかったからだ。K-3III はファインダーがきれいだな、シャッターフィールがいいな、ボディも小さくていいな、と思いつつも、値段もK-3iiと比べると倍以上もするしで、スルーしてきたのだけど、モノクロームで発売されると聞いていてもたっても、いられなくなってしまった。ライカMMやQ2Mに不満はない。ただ、ミラーレスばかり使っていると一眼レフが使いたくなるし、レンジファインダーでは使いにくかったマクロや中望遠〜望遠も使いやすくなる。つまり、わたしの所有するカメラの中では競合のないブルーオーシャンなのだ。なんとか、二度目の予約で受け付けられて、5月半ばに手元に届いた。
やはり、見たとおりに撮れないというのは、楽しさの根源だ。

花はモノクロームで描かれると、色で誤魔化されていた、生命力が際立ってくる


緑の葉はグレートーンが魅力