ストリートフォトグラフ

以前、と言っても随分昔のことだが、200㎜の望遠レンズを使って風景や野鳥を撮っていたことがあった。街中でそんな長いレンズを構えていると、何か盗撮しているのではないかと思われそうで、野鳥も撮りに行かなくなって、望遠は使わないようになった。

次に最も良く使ったのは、ミノルタα7000につけた35㎜ー110㎜のズームレンズだ。これは、よく使った。初めて仕事で世界一周をした時は、この1台のカメラだけを持って沢山の写真を撮った。36枚撮りのフィルムを10本以上使ったと思う。デジタルカメラに良い性能を持つカメラが比較的安価で世に出廻り始めた時から、その簡便性が故に専らデジタルカメラを使うようになった。

私がライカを使うようになったのは比較的最近のことだ。「いつかはライカを」と随分前から思っていたが、カメラ本体だけで100万円、レンズはピンキリで、今使っている最も汎用性の高い50㎜レンズでも60万円はする。その「いつかはライカを」をようやく手にすることができ、今は3台のライカで撮ることを楽しんでいる。

標準域のレンズを使うと、当然スナップショットが殆どになる。スナップも撮ってみると奥が深い。被写体の質感や光量は言うまでもなく、それが人物だと表情も好みになるのを待つ。気の長い話だが、構図が決まれば、後は光量や表情などを待つ。常に写真を撮ることを意識して歩いていると、「あっ…」と思う絶好のチャンスが来る場合がある。そんな時は、すぐにシャッターを切る。そんな時の写真は、数秒置いて撮り直しても全く違うダメな写真になる。道を歩いていると、いろんな出逢いがある。被写体・相手の幸福を願いながらシャッターを切る。

ライカM3

ライカを代表するカメラだ。1954年の世界カメラショーで、このM3を見た他のカメラメーカーは、このカメラには絶対に追いつかないと思い、カメラ製作の方向性を変えた。今でもレンジファインダーに固執しているライカだが、他のメーカーは一眼レフの開発に向かった。今は圧倒的に他のメーカーが作る一眼レフが主流になっている。

因みに、M3が売り出された当時は、3軒の家が買える値段だった。日本からも船旅でドイツまで行って買った猛者がいる。有名なカメラマンは勿論、アマチュアでも、財力があった人は買ったらしい。シャッター音の静かさで、唯一オペラ座で使用が許されたカメラだ。今、私の手元にあるが、全く古さを感じさせない。見ているだけで楽しい。以下、ウィキペディアより引用。

1954年に発売されたライカM3は、1966年までに13年間で約22万台生産されました。 M型の初代機であるM3は、バルナック型ライカの欠点をあらゆる点において見事に解消したカメラで、現在でもM3を超えるカメラはないとも言われています。

M3の最大の特徴は、そのファインダーの視認性の良さにあります。究極ともいえる完成度を誇り、以後のM型ライカではコストダウンのために簡略化されている部分でもあります。 明るいブライトフレームはレンズ交換をすると自動的に切り替わり、さらにパララックスも自動補正される精度の高いものです。 ファインダー倍率は0.91とM型ライカの中でも最も高く、肉眼で見たイメージに限りなく近い状態で構図を決定することが可能です。両目を開けたまま見ても違和感なく被写体を観察することができます。

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