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『のーと』って?〜『のーとのはじまり』〜

初めまして。
鹿児島市内の自宅で『music therapy room のーと』を開業しました仁美です。
この記事では、私が『のーと』を始めることになった背景や『のーと』に込めた想いを書いてみることにしました。

第一弾の投稿は、開業しようと思った「最初のきっかけ」について。
ほんの少しでも
“リアルな子どもの声”を感じていただけたら。。。

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きっかけは、一人の女の子との出会い。

ある中学校の入学式当日。
新入生がぞくぞくと集まり、もうすぐ開会となるその時
「髙柳せんせ~い、こっち来て~!この子、おねがーい!」と同僚からの声。
声の方に向かうと
これから始まる入学式の会場とは離れた場所に立ちすくむ女の子。真新しい制服と真っ白の靴、大きめのリュックを身に着けている彼女の視線は下を向いている。
「こんにちは。髙柳と言います。よろしくね」
彼女はちらっと私の顔を見た後、軽くうなずく。
その一瞬で
式が始まる体育館には、入れないと判断した。
彼女から“疑いの目”・“恐怖の目”を感じ取ったからだ。これから無理やりにでも体育館に連れていかれるのではないかと恐れていたのであろう。
 
「少し遠くから入学式を見ておこうか」と提案すると、またうなずいた。
そこから言葉のキャッチボールがだんだん始まった。
はじめは、YES・NOで答えられる質問から始まり、次は単語で答えられる質問。
徐々に徐々に、彼女の声が聞けるようになった。
(なんだ、おしゃべりできるじゃん!)
私は安心する。
 
二人で会話をしながら、体育館の方向へ向かっていった。
少し離れたところから、中の様子を覗こうとする彼女がいたので、「入ってみる?」と聞くと、一瞬で顔色を変えてすぐに後ずさりした。
体育館の近くまで行けたのに、どんどん遠ざかってしまった。
(しまった)
気分をかえるために、慌てて違う話をした。
 
また会話が弾んだので、今度は誰もいない教室へ案内した。
彼女は1年1組。前から3番目くらいに彼女の机があった。
「ここが1年1組だよ。貴方の席はここだね」と言うと
彼女はその席に一瞬だけ座った。


式が終わり、緊張が解けた新入生や保護者たちが体育館から出てきた。
それに気付いた彼女はまた隠れようとする。
(そうなるよね。当然。しょうがない)
 
新入生たちは、自分の教室に入って初めてのホームルームの時間だ。
(もちろん、彼女はここには入ることはできないだろう)
そう思ったのに、彼女は予期せぬ行動をする。
1年1組の教室に近づこうとする。
(え?行けるの?大丈夫なの?)
「私と一緒に行ってみる?」の提案にうなづく。
(まじかよ)
私の後ろを歩かせるとついてきた。教室の後方入口までたどり着いた。
(あれ?大丈夫なの?今は人の目を気にしてないの?)
私は小さな声で「席に座ってみる?」と提案するが、それにはNO。表情はよくない。
(だよね。まあ、ここまで来ることができたことがまず凄い。ここでいい!これでいい!)
教室の入口ギリギリのところに二人で立ったまま、ホームルームが終わった。
「さようなら~」
すると、彼女は誰に促されずとも、さっき確認した自分の席へ向かい、プリント類を手にとった。そして、同じ小学校だった子どもたちと楽しそうに会話しはじめた。
(え?めっちゃ普通やん!友だちいるんじゃん!)
そして、担任の男性教師とも目を合わせて会話ができた。
 
(・・・・?)
「また明日待ってるね」
「うん」
笑顔でカバンを背負い、友だちと去っていた。

これが、忘れもしない彼女との出会い、一日目。
 
“引きこもり”でもなさそう。
“友だちがいない”でもなさそう。
“男性がこわい”でもなさそう。
“コミュニケーションが苦手”でもなさそう。
 
なんだ?
何と表現したらよいのか?
「?」がいっぱいの私。
この日から「彼女の心を探る一年」が始まったのだ。
 

それからの一年の間
私はほぼ毎朝行う日課ができた。
それは彼女の靴箱をチェックすること。
 
彼女と顔を合わさなくても靴箱を見て、静かな会話をしていた。
(よし、登校できたね)
(あれ、まだ来てない。どうした?休み?遅刻?)
 
ある日は
朝から友だちと笑い合っておしゃべりを楽しんでいる。
(よし。大丈夫だ)
 
ある日は
校舎に入れず靴箱付近をうろうろしている。でも、ちょっと表情はいいぞ。
(なんで?ここまで来たんだから入れるでしょ?)
 
ある日は
正門の辺りで行ったり来たり。目には涙を溜めている。
(家に帰りたい?学校に入りたい?どっち?でも、ここまで来たんだから保健室にでも入ろうよ~)
 
ある日は
昼休みに友だち数人と校庭でボール遊びしている。
男子とも冗談言い合ってる。
(めちゃくちゃ、はしゃいで笑ってるじゃん!むしろ活発な子やん!)
 
彼女の表情と行動は毎日違った。
 
教室の自分の座席で授業を受けることも増えてきたから
「この調子なら明日もきっと大丈夫だ!」と思っても
明日になるとまた違う。
その次の日もまた違う。
だからなのか、私は愛情をいっぱい注ぎたくなるし、もっと心の奥を知りたいと思うようになっていた。

2学期。
靴箱と私の行動に変化があった。

日課の“靴箱チェック”をしていると気付いた。
(あれ?あの子も休み増えてきた?)
私は、彼女の靴箱だけを見るのではなく、他のクラス、他の学年の靴箱もチェックするようになっていた。
気にかけたい靴箱がいくつか増えてきたからだ。
 
彼女だけではない。
子どもたちみんな、毎日毎日、表情と行動が同じであるはずがない。
自分だってそうなのに。
子どもたちの表情を見逃しているだけだ。
 
気になる子には、さり気なく言葉を掛けるように心掛けた。
子どもたちと同じ生徒用の椅子に座り、同じ目の高さで話すように心掛けた。
マスクの内側の表情を見るように心掛けた。
そうするうちに不思議と
子どもたちが、ポロっと本音を吐き出すようになってきた。
 
彼女は
「小学生の時もあまり授業を受けてないから勉強が分からない。特に算数がよく分からなかった。だから数学の授業を聞いても何を言っているのかついていけない」と話してくれた。
 
ある子は
「勉強が難しい。板書をノートに写すことも遅いんです。書いていたら、授業はもう次のことに進んでいる。家でもおじいちゃんと一緒に頑張って復習しているけど、分からない。テストどうしよう」
 
ある子は
「○○ちゃんとの仲がうまくいってない。ずっと仲良しだったのに。学校楽しくないけど、家にいてもなんだか・・・」
 
ある子は
「教室に入るのが怖い」
 
ちゃんと子どもたちは
自分の気持ちを“伝える”ことができると知った。
大人が子どもの目の高さに揃えて隣で寄り添えば、
子どもは自分の気持ちを“伝える”ことができると知った。


「30日以上欠席した子ども=不登校」と定義されているが、「不登校」という言葉に違和感を持ち始めたのはこの頃。
子どもたちの心の声を隣で聞けるようになってからだ。
彼女らを「不登校の子」という枠にはめることに違和感があったからだ。
というより、はめたくなかった。
 
だから、「不登校」という言葉に変わる言葉を探したいと思った。
よく言われている「グレーゾーン」という言葉も使いたくない。
特別支援教育に携わっていると
頻繁に「あの子、グレーゾーンだよね」という言葉を耳にするが、
その言葉で解決されたかのように扱われることにも違和感があるからだ。

彼女と過ごしたのは一年間だけであったが
中学を卒業する直前、彼女からの手紙が届いた。


『2年生になってから、学校に行ける日が減ってしまいました。パニック障害という診断がつきました。でも、私も高校に合格できました。制服を着るのが楽しみです。高校では学校に行けるように頑張ります』
 

今、彼女はどんな生活を送っているのだろうか。
誰かに、ポロッと本音を吐き出せていたらいいな、とただただ願う。

学校現場はとにかく忙しい。
授業を提供するだけでない。授業の準備や宿題の丸付けをするだけではない。子どもたちの為に…と考えれば考えるほど、いろんなプレッシャーも抱える。
言い訳のように聞こえるかもしれないが、学級の子どもたちの表情ひとつを見逃さず・・・と心掛けても、到底私にはできない。
自分の家庭もそっちのけ。我が子の宿題もサインだけつけて見守っているフリ。
理想の教師からかけ離れた“キャパオーバーの先生”
理想の母親からかけ離れた“見せかけだけのママ”になるのが目に見えている。
(いや、もうすでに片足つっこんでいたな)
 
だったら、
私は、今の私にできることをしたい。
 
一人ひとりと向き合う時間をつくろう。
子どもたちは
学校の先生でもない、習い事の先生でもない、母親、父親、兄弟姉妹でもない、友だちでもない、ポロっと本音を吐き出せる相手を求めているかもしれない。
(大人だって、家族でもない、友だちでもない、職場の人でもない、本音を吐き出せる相手・・・欲しい。よね?)
 
学校でもない
習い事でもない
フリースクールでもない
家でもない場所。
「つらい」「苦しい」「わたしなんて…」の雨粒で濡れしまった子どもたちに、「傘、貸すよ」「ちょっと休んでいったら?」と安心して“雨宿り”をすすめられる場所。

一旦、“雨宿り”をして自分の心と向き合う空間をつくりたい。

どうやって、今の私にその空間をつくることができるかと考えた時に、私には大好きな音楽がある、と思った。

少し余談だが
現場で働いていた頃の私の『音楽の授業のモットー』
国語・数学・英語・理科・社会…覚えないといけないことばかりの授業を受けて子どもも大変よね。「四分音符は何拍か?」なんて知らなくても生きていける。音楽室では、歌って、弾いて、聴いて、観て、何かひとつでいいから「楽しかった、面白かった、またやりたい」と思ってくれたらそれでいい!と思ってやってきた。
(教育現場では本当はそれだけじゃダメ・・・なの。今だから言える話。苦笑)
10年以上前の教え子たちが、私のことを覚えていてくれて音楽の授業の思い出を語ってくれたことが、これまた強い味方となっている。
 
だから、音楽を通して子どもたち一人一人と向き合う空間づくりならできるのではないか。
音は、その時その時の感情を表現することができる。安心できる空間さえあれば、誰でも表現することができる。音楽には、人の心を動かすパワーがある。私が体感してきた。

今、私ができること。願うこと。
 
子どもたちの心の底にある「○○したい!○○してみたい!○○できるようになりたい!」などの夢や希望に自分自身で気付き、音や言葉で誰かに伝えられることを知ってもらいたい。
伝えてほしいことは、もちろん夢や希望だけでなくていい。
「○○に行きたくない」、「○○をやめたい」、「○○ができない」の一言を伝えることで次の一歩が始まることもある!ということを体感してもらいたい。
そのお手伝いが私にはできそうな気がしている。
 
とりあえず雨宿りしたらいい。
一度は雨宿りしたらいい。
ときどきは雨宿りしたらいい。

私も、まずは誰かに“伝える”ことから。
(はぁ、やっと私も言えたぁぁぁぁ!!)

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最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。

 『のーと』は、自宅教室での一対一のセッションや不定期のワークショップ、また出張教室でグループセッションなどを行っています。
ご興味をもってくださった方は、ご連絡くださいませ♪


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