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私の恩師



パンクロッカーの井下斗和です

先日、『こどもまんなかトーク』でお会いした中澤幸彦先生が主催する『夢みる小学校 完結編』の上映会に行ってきました。この映画を通じて、きのくにこどもの村学園のような学校が日本中にもっと広まってほしいと強く感じました。子どもたちが自由で創造的な学びの場を持てることの大切さを改めて実感しました。

しかし、私にとってその自由で創造的な学びの場は、ある一人の先生との出会いから始まりました。私が「恩師」と呼ぶ、その先生の名は前田先生。私が小学生の頃からお世話になっていた塾の先生であり、今でも心に深く刻まれている存在です。

前田先生は70代後半とは思えないほどの先進的な考え方を持つ、驚くべき人物です。彼との出会いは、私の兄が彼の塾に通っていたことがきっかけでした。私も自然とその塾に入ることになり、そこで渡されたのが『AFOノート』でした。AFO、つまり『アホノート』と呼ばれるこのノートは、千問の問題を解けば5000円がもらえるというシンプルなルールがあるものでした。子ども心にとてもワクワクする話でしたが、勉強嫌いだった私にとって、千問という数字はすぐに途方もないものに思えてしまい、早々に興味を失ってしまいました。

しかし、ここで前田先生が見せたのが彼の真の凄さでした。私の個性を理解し、勉強へのモチベーションを引き出すために、彼は私に新たな提案をしてくれました。それは、問題を一問解いたら大好きな絵を描いても良いというものでした。この新しいルールが導入されたことで、私は塾に通うのが楽しみになりました。毎回「次はどんな絵を描こうかな?」とワクワクしながら塾へ向かうようになり、いつの間にか成績も上がっていきました。

小学校高学年になると、私は中学受験を決意しました。それからは、朝から晩まで塾に通う日々が続きました。家族と過ごす時間よりも、前田先生と一緒にいる時間の方が長くなり、塾が私の第二の家のようになっていました。その頃、私は精神的にも非常に辛い時期を迎えており、息がしづらくなるなどの症状に悩まされていました。そんな時、いつも相談に乗ってくれたのが前田先生でした。

受験の結果は残念ながら不合格でしたが、その瞬間、私はようやく張り詰めていた緊張から解放される感覚を覚えました。結果よりも、前田先生と一緒に乗り越えた過程が、私にとって大きな意味を持っていました。

中学に進学してからも、私は前田先生に何度も助けられました。学校の先生に理不尽なことを言われたり、自分がどう対応すべきか迷ったとき、真っ先に相談したのは前田先生でした。教育に関するディベートを繰り返し、彼の柔軟な考え方に何度も救われました。本当にあそこまで頭が柔らかいおじいちゃんはいないな、と今でも感心しています。

また、前田先生とは音楽や漫画の話でも盛り上がり、家族以外で私のことをこれほど深く理解してくれた人はいなかったのではないかと思います。彼はいつも私の成長を褒めてくれ、その度に新たなやる気が湧いてきました。

振り返ってみると、前田先生がいなければ、今の私は存在しなかったかもしれません。彼との出会いと、その後の学びは、私の人生にとってかけがえのない財産です。これからも、前田先生から学んだことを胸に、前進していきたいと思います。



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