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SUPER JUNIORの幻のメンバー。カン・ジュニョンの備忘録

あなたはカン・ジュニョンの名前を知っているだろうか。
もしよく知っているなら、あなたはELFの中でもかなりの古参で、なおかつ中国人かもしれない。日本のインターネットで彼の情報が少なくてさみしいので、カン・ジュニョンについてまとめておきたい。ジュニョンについて新しい情報が集まることを期待して。

簡単なプロフィール


すっぴんでもこの格好良さ。

【名前】カン・ジュニョン(漢字表記は姜俊英。中華圏ではジャン・ジュンインと中国読みで呼ばれる)
【生年月日】1987年8月31日(37歳)
【血液型】B型
【体格】身長184㎝、体重63㎏
【趣味】水泳、インラインスケート
【家族】両親、妹
【宗教】キリスト教徒

ジュニョンの(おそらくたった一つしかない)日本ペンさんのブログ↓↓

元SMエンターテイメント練習生。SUPERJUNIORのデビュー前ショーケースにも参加していた。彼を見られる数少ない映像はこちら↓

彼は白黒はっきりさせる性格で、上層部の不興を買った。

ジュニョンは歌もダンスもとても上手で、SUPER JUNIOR 05のリードシンガーになるはずだった。しかし二週間前に突然、リョウクに交代させられた。理由は不明だ。ELFは彼がヒチョルと仲が悪かったからだ、東方神起の悪口をサイワールドに書いたからだと言うが。ELFはメンバーを守るあまり、脱退メンバーには攻撃的だ。デマの可能性が高い。ジュニョンはSMエンタの経営陣――イ・スマンを怒らせてしまったという話だが、くわしい理由は分からない。

もしジュニョンがいたら、ハンチョルというケミは生まれていなかった。

ジュハン(幻のケミ)

カン・ジュニョンを、練習生仲間たちはクールで、傲慢な性格だと思っていた。気性は荒く、芸能界を目指す人間らしい『シビア』な所があったという。シウォンが上品で礼儀正しいのとは正反対だった。彼はペンからはその容姿と性格で、冷たい人形のようと称される。そんな彼は2003年に、中国からやってきた新しい練習生――ハンギョンと出会った。『一目惚れ』という言葉がしっくりくるだろうか。彼は誰にも優しくなかったし、ヒチョルとは仲が悪かったが。ハンギョンには優しく、かいがいしく世話をした。

ハンギョンが風邪を引いた時、彼はひたいをくっつけて、体温を測った。
実家から食べものを持ってきて餌付けを試みた。
サイワールドに『ヒョン、愛してるよ。俺にも愛してるって言って』と甘いコメントを残した。誕生日のたびに、二人はお互いのサイワールドにコメントを残していた。また帰国後は微博をフォローしコメントを残す……ここまで来るとリアコのようだが。
練習生時代、ハンギョンと双子のように、いつも一緒にいたのはジュニョンだった。ジュニョンはハンギョンに、モデルらしい『ポーズ』の作り方を教えた。たどたどしい韓国語を辛抱強く聞いて、会話した。練習生たちは二人の仲を笑い、いつも世話をするジュニョンを『ハンギョンのマネージャー』とからかった。そのころ練習生たちはこう言った。『ジュニョンを手懐けたければ、ハンギョン式韓国語を真似してやればいい』。
……もちろんジュニョンは、訛りを真似しても誰にも優しくなかったが。

デビューまであと十四日。そこで、なんとジュニョンは交代させられた。宿舎にやってきたのはキム・リョウクというあまり親しくない練習生。ハンギョンは初めはリョウクとあまりなじまず、メンバーの一人として接していた。誰よりも心を許していた親友の代わりにやってきたリョウクに、複雑な感情があったかもしれない。しかしハンギョンは後に『純真』とたった一言でリョウクを現した。リョウクも『いつもとても正直な、僕たちのハンギョンヒョン』と呼んだ。ハンギョンは『ルームメイトにするなら、イトゥクかリョウクがいい』とまで語った。彼らは性格も似ていたので、初めのわだかまりはすぐに溶けて、仲良くなった。彼がSUPERJUNIORに入るために、何かずるいことをしたと噂が出たが、ハンギョンとジュニョンはそれを否定した。

ヒチョルは、ジュニョンの代わりにハンギョンのそばについて、優しく接した。初めは仲はいいが、あまりケミとしては上手ではなかった。中国人のハンギョンには人前で恋人のように触れ合う演技は難しかった。シウォンやジュニョンがひたすら尽くすタイプだったので、受け身のコミュニケーションが得意だったのかもしれない。むしろTwinsでのデビューからDon’tdonまでは、ハンギョンは一歩引いていることが多い。しかし07年ごろにはハンギョンも慣れて、ヒチョルを避けなくなった。そしてハンチョルというケミが完成した。

このころ、ジュニョンはまだ希望を抱いていた。SUPER JUNIOR05は、メンバーが入れかわるグループだったからだ。ハンギョンは東方神起の『六人目』のスペアであり、SUPER JUNIORでのデビューが決まったことで13年に契約がのばされたという説もある。彼の将来の計画はあちこち変わったが、SUPER JUNIOR卒業後は、華々しい再デビューが待っていた。ジュニョンはイ・スマンを怒らせて、デビューの芽はないと思われていたが、まだ諦めていなかった。彼はまだSMエンタに残り、ハンギョンの卒業を待っていた。しかしキュヒョンが加入し、SUPERJUNIORは13人で活動して行くことになった。ジュニョンは打ちひしがれ、07年までにSMエンタから去った。

ジュニョンの芸能界での歩み


ジュニョンは2005年、LACOSTEのショーにモデルとして出演している。このお披露目は、彼がアイドルとしてデビューする可能性を示している。しかし彼はSMエンタを退社後、すぐに兵役へ出発した。そして除隊後はモデル、俳優としての活動を開始する。しかしそのキャリアは芳しくない。彼は微博やサイワールドを持っていたが、ほとんど芸能界を引退していると思われていた。ハンギョンはジュニョンについて、公で語ったことはない。自分のプライベートを明らかにしない彼の性格を考えると、大切だからこそ『語りたくない』のだと思われる。二人の交流は中国へ帰国後も続いているようだ。相互フォローにならず、一切コメントを残さないが。交友関係を誇示するのが苦手なハンギョンは非公式での友情を望んでいるようだ。(怒涛のいいね連打をするジュニョンが恐いわけではないだろう)
それはむしろ誠実だと私は考える。ジュニョンとの友情をアピールする方がよりいい印象を与えられるのに、あえてしないのが彼らしい。あるいはジュニョンとは、練習生時代と同じ距離感で、気楽な友達でいたいのだろう。
ハンギョンはかつて、ジュニョンが中国でキャリアを開発することを望んだ。彼はデビューしていないにも関わらず、友情のおかげで中国にファンダムが存在しているほど知名度があったからだ。番組を通じてジュニョンにメッセージを送ったこともある。様々な事情から二人の道は分かれたが、二人は今も友情で結ばれている。

ジュニョンは今どこで何をしているのか。

2019年、ジュニョンは自分の微博に突然の『遺書』を投稿した。「もう目覚めたくない」「電話もメッセージもやめてくれ。俺の友達に聞くのもやめてほしい」ペンたちが、親友のハンギョンに聞くのを予測していたのかもしれない。ハンギョンは公には無言だった。今までと同じように。翌日、ジュニョンは再び微博を更新した。
「どんなに辛くても我慢するよ。俺の考えは行き当たりばったり過ぎる。一所懸命に生きるよ。ごめんね」。
さらにその後「俺のために祈ってね」と投稿した。

ジュニョンの生家はとても裕福で、経済的な問題ではない。彼がこんな考えに至ったのは、Shineeのジョンヒョンが自殺したせいと言われている。二人は練習生時代から仲が良く、その後も交流が続いていた。それまで頻繁にSNSを更新していたジュニョンだが、彼が練炭自殺した後はたった三回しか更新していなかった。

ハンギョンが中国へ帰国した時。ジュニョンはサイワールドにメッセージを投稿した。そこには彼を責める言葉は一つもなく。温かい思いやりに満ちた応援だった。カンインが初めて謹慎した時も。ジュニョンは思いやりと許しをELFに求めた。しかしそれを最後に、ジュニョンはSUPER JUNIORへの言及も避けている。


ジュニョンはSUPER JUNIORがデビューした後、時折宿舎にバイクで乗り付けていた。集まっていたペンが「ハンギョンに電話したら?」と言うと、ジュニョンは携帯電話を取り出したが、結局明かりのついた窓を見上げるだけで、黙って去ったという。大好きなハンギョンと一緒にデビューして、同じ舞台に立ちたいと語っていたジュニョン。上層部の不興を買った後も、気まずい空気の中で練習生として機会を待っていたジュニョン。その夢がもし叶っていたら。今の二人はどんな人生を送っていたのだろうか……。


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