昭和のOLが、自作パソコンに挑戦・・・・とまではいかなくても、パソコンの改造をしていた時期がありました。どんなことをしたのか思い出してみました。NEC9800シリーズにDOS/Vマシン、サーバー機とドライバーを持つと改造した時のことを思い出します。

PC9800時代

今から30年くらい前のことです。NEC製のパソコンを改造することはメモリを追加するくらいでした。私の大失敗は、メモリを2枚で一組だと知らなかったことです。一枚だけ買って、自宅で設置しても認識しません。翌日同じ容量のメモリを買いに行きました。PCショップの店員さんも知らなかったみたいでした。まだWindows3.1の時代の失敗談です。

DOS/V時代

DOS/Vマシンに買い替えてからは、パソコンの筐体を開いてよく中身を見ていました。マザーボードにビデオカード、HDD、メモリ、にCPUと交換できる部品がたくさんありました。CPUやメモリがお寿司屋さんみたいに時価で販売していることもこのときに知りました。

私が交換したパーツは、HDDとメモリだけです。それ以上の部品は、めんどくさそうなので、止めておきました。

それでも、自分でパソコンの改造を経験して良かったこともあります。派遣社員として、いくつかのソフトハウスで働いていたとき、メモリの追加やHDDの交換を依頼されても、楽々こなすことができて、若者プログラマーから感心されました(おばさんはハードウェアに弱いと思われていたようです)。

サーバーマシン時代

システムアドミニストレーターとして、ITベンチャーの会社で働いていたときは、1U のサーバーマシンを改造していました。今では、普通のオフィスにサーバーマシンを置くことは、少なくなりましたが、2010年以前は、オフィス内にサーバーラックを置いて、サーバーマシンを置いていた会社がありました。私は、HDDやメモリの追加、RAIDの設定、OSのインストールと、主にWindowsサーバーを作っていました。サーバーマシン内の清掃や組み立てをするために、ドライバーやシリコングリース、ビスを揃えて、作業していました。

もう10年近く、サーバーマシンは見ていません。サーバーマシンを用意する仕事はもう2度とやりたくないです。

現在

台湾に来てからは、ノートPCのみを使っています。ノートPCの改造は、やはり、HDD→SSDに交換、メモリの追加とやることは、DOS/V時代と変わりません。変わったのは、ノートPCのパーツが小さくて、老眼で行うには、緊張するということです。ビジネスインターンで働いている台湾の会社でもSSDの交換を行ったことがあります。若い社員(台湾人)に、「交換のやり方を教えてあげるから、SSD交換をやりませんか」とお願いしたこともあります。ですが「できません。できません」と拒否されてしまいました。最近の若者は、PCの改造に興味がないようでした。

PCを使って仕事をしている皆さん、どうかSSDやメモリの交換くらいはできるようになりましょう。SSDやメモリの交換ができれば、パソコンの改造可能と履歴書に書けますよ。

サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。