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コンビニもファミレスも、近くになかった昭和の年末年始は、みなさんどのように過ごしていたのでしょう。

年末

昭和の年末は、12月に入った時から年始の準備が始まります。

年賀状書き・・・・これは、会社でも準備していましたが、家庭でも表、裏と手書きで書いていました。我が家は、父が自営業をしていたので、仕事と親戚関係は、あて名書きと送り先へのメッセージを一言添えるだけでした。家族やペットの写真を使った年賀状は印刷代が高いので、我が家では、一番シンプルな新年の挨拶と干支のイラストいう面白味のない年賀状でした。

おせち料理や来客用の食材の買い出し

食材の買い出しも、12月の2週目あたりから乾物の購入から始まります。昆布に黒豆、ごまめなどを買っていました。生ものや野菜は、4週目に入ったあたりに買っていました。新年に食べる刺身やすき焼きの肉も高級なものを注文して買っていました。お節作りは、母を筆頭に子供たちが手伝って作っていました。令和の現在、私は、自分で作ろうとは思いません。手間がかかるし、私しか食べないので、めんどくさくなりました。

大掃除

これも母や、子供たちが中心になって行っていました。父は自営業の工房の大掃除はしてましたが、自宅の掃除はやりませんでした。昭和のお父さんはどこでも自分の家の掃除はしてませんでした。ちなみに畳を上げたり、障子を張り替えたりは、小説や漫画の中だけの情景です。畳を上げるとそれだけで、一日が終わってしまいます。

年始

元旦は、昼前に起きて、お雑煮とお節料理を食べていました。2日か、3日に親戚の家に挨拶に行ってお年玉をもらうというのが、正月のスケジュールでした。このスケジュールは、私が高校生を卒業後に変わりました。高校卒業後は、お正月は、アルバイトをしていました。正月3が日は、時給が少し高いのでアルバイトをするのが楽しみでした。親戚周りは、両親だけになり、子供たちは自分の予定を優先するようになりました。我が家はお年玉は、高校生までと決まっていたので、アルバイトのほうが重要でした。

会社の仕事初め

私が勤めていた会社の仕事初めは、1月5日だったと思います。新年の挨拶を社員同士で交わして、営業マンは、自分の担当の顧客の挨拶回りに出かけます。年賀状の仕分けをしたり、郵便物の整理をしたりで一日が終わります。昭和の風習として、仕事初めに、新入社員の女性が着物で出勤する会社もありました。私の働いていた会社には、その風習はありませんでしたが、友人は、朝の5時に起きて、美容院で着付け、振袖姿で電車に乗って出勤、午後6時まで、着物姿で仕事をこなしたそうです。この風習はなくても良いと思いませんか?

新年の挨拶で、「お手帳」を頂くことも、よくありました。取引先の営業マンから頂くのですが、自分のシステム手帳がるので、私は使っていませんでした。現在、台湾暮らしですが、ビジネスインターンをしている会社でこの「お手帳」を取引先からいただきました。私は何となく懐かしくて、頂いて使っています。台湾人の若い同僚は、その手帳は「ダサイ」ので、要りませんと言っていました。


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