私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

平成を何年か過ぎたころ、私はパソコンインストラクターをしていました。その当時担当した口座にコンピュータープログラム開発言語「BASIC入門」があります。

パソコンにデフォルトで装備

今から40年ほど前、PC-8800というNEC製のパソコンに標準装備されていたのが、「N88-BASIC」です。OSとかWindowsなんて言葉もない時代に、パソコンの電源を入れたら、起動して、真っ黒の画面に白いテキストが眩しかったことを憶えています。扱える文字はテキストのみです。別名「ROM-BASIC」と言います。SSDもハードディスクもない時代です。データの保存は、フロッピーディスクや磁気テープで行っていました。つまりこの「ROM-BASIC」パソコンの読み出し専用メモリに保存されているのです。

BASICは手軽な入門言語

BASICは大変手軽なプログラム開発言語として、学校やパソコンのショールームで教えていました。私も、専門学校時代に、IBM5550でBASICの講座を受講しました。実は私は、この授業の内容をさっぱり理解していませんでした。入力したプログラムは、ディスケット(フロッピーディスク)に保存して自宅に持ち帰っていました。数年後に、プログラムの内容を見ると、ほんとに簡単な命令文が書いてあるだけでした。プログラミングに興味がなかったので理解できなかったのです。

街のパソコン教室で教えていました

専門学校で「BASIC」を学んだ10年後に、「BASIC」を教える立場になりました。そのころパソコン関連の資格にBASIC言語がありました。教えている内容は半分は、「PCとは?」とかキーボードの入力方法やメディアの使い方でした。そしてこの講座で教えていた内容は、私が専門学校で習った内容とほぼ同じでした。専門学校で教えていただいたことが役に立ちました。
「先生、ありがとうございます。基礎を習っていて助かりました。」
そのころの、パソコンインストラクターはショールームコンパニオンが、教えている場合が多く、彼女たちは「パソコン入門」、「Lotus1-2-3」、「一太郎」などを担当していました。

私は主に、「MS-DOS」の使い方、「BASIC入門」を教えていました。30歳近い年増のインストラクターは、地味な講座ばかり任されていました。「BASIC入門」を教えるのは大変でしたが、のちのち役に立ちました。


BASIC小話

「BASIC入門」を教えていたという経験で「F-BASIC」の講座も担当したことがあります。NEC系のパソコンばかり、使っていたので、富士通系のパソコンは扱いづらかっただけ憶えています。命令構文などが多少、N88系とは異なるらしいですが、基本は同じなので、講座の前に、FM-TOWSを使わせていただき、付け焼き刃でなんとかしました。

その後、Windows3.1、Windows95が発売され、私の使うBASICは「Visual Basic」に変わりました。派遣プログラマーとしてソフトハウスで開発を手伝っていたこともあります。私は「Visual系」プログラマーと名乗っていました。(はずかしいですね。)

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