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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

バブルが始まる直前の昭和61年に、中小の商社に就職しました。ランチはお弁当を持参していました。そのお弁当は「母」に作ってもらっていました。

昭和のOLのほとんどは、自宅通勤でした。自分で昼食の弁当を作るOLさんは少数派だったと思います。わが社の先輩OLもお弁当は、お母さまが作っていると教えてくれました。

私が働いていた会社は、大き目の地方都市で、新幹線も停まる駅が近いため、飲食店はたくさんありました。ただ、昼食時間が12時始まりだったため、飲食店がどこも混んでいました。昼休みを充実させるためには、弁当持参がベストでした。

令和の時代は、一人暮らしのOLさんは結構いらっしゃると思います。皆さん自分で弁当を作っていらして「偉いな~」と感心しています。たぶん令和のOLさんのお母様方は、自分では作っていないと思います。自分は母親に作らせていながら、娘には「自分で作りなさい」と指導していることでしょう。

私も、アメリカで働いていた時は、自分で弁当を作って、オフィスに行っていました。オフィスの周りにレストランや、弁当を買える店がないため、持参するしかありませんでした。

そのアメリカ時代の弁当のメニューが「おにぎり」、「チーズ」、「リンゴまたはオレンジ」と実にシンプルな内容でした。台湾では、逆に、ランチを購入できる場所が多すぎて、弁当を持参する必要はありません。 

現在、自分で弁当を作ってみて、母が毎日、用意してくれた弁当は野菜が多くて、素晴らしい弁当でした。母が生きているときに、もっと感謝を伝えておきたかったです。

サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。