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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

平成5年頃、私はパソコンインストラクターをしていました。専門学校でも教えていた経験もあります。専門学校では、表計算の基礎と、ワープロの基礎を教えていました。

PCインストラクターの仕事の探し方

大手パソコン教室や、PCメーカーの正社員以外は、パソコン講師の仕事は時給です。私は、インストラクターの仕事は、求人誌で見つけました。求人誌は、その当時の女性の転職の必需品「とらばーゆ」です。

パソコン教室の求人募集内容に、パソコンインストラクター及び、インストラクターのアシスタントも同時募集と書いてあったので、思い切って応募しました。採用された理由は、前にも書きましたが、「自宅にパソコン持ってた」と「ブラインドタッチができた」です。

パソコン教室で、インストラクター経験を積んで、派遣会社に、インストラクターとして登録しました。当時のパソコンインストラクターは、派遣会社を通すと時給2000円頂いていました。

パソコン教室や、派遣会社の仕事以外に、専門学校で仕事もありました。これも、「とらばーゆ」で見つけた仕事です。専門学校で教えていた内容は、最初はドローイングソフトの「花子(DOS版)」でした。学校行事に出席したり、テストを採点したりとあまりにも、授業以外の仕事が多かったので、もう、専門学校での仕事はやめておこうと思いました。

ですが、数年後に、専門学校で講師をしていました。この仕事は夕方からの講座で、主に、働く人が通う学校でした。教えていた内容は「エクセル」と「ワード」です。この仕事には、コンピュータープログラムを勉強している学生がアシスタントに就いてくれて、大変楽しく、きらくに指導できる講座でした。

PCインストラクターの必需品

パソコン講座で必要なものは何だと思いますか?現在では、考えらえない物です。私は、仕事の時は、パソコンソフトの解説本を必ず、持参していました。生徒からの質問には、答えなければなりません。わからない場合は、次回の授業で、答えていましたが、めんどくさくなったので、その場、解説本で調べて答えていました。最終的には、その解説本を紹介して、講座が終了したこともあります。

講師控室は楽しい場所

夜間の専門学校で教えていたときの話です。講師控室は、他の講座の先生型とお話するのが楽しみでした。とくに「CA受験対策講座」の先生は、美しく、かっこよくて憧れていました。大手航空会社のキャビンアテンダントをなさっていた方で、背も高く、英語も堪能でした。キャビンアテンダントが、少女の憧れの職業だった時代です。私は、キャビンアテンダントさんとこんなに親しくお話したことがなかったので、大変、良い経験になりました。

サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。