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私は昭和の終わり頃に、営業事務として商社で働いていました。そのころの仕事術で昭和と令和との違いを書いています。

今年はともかく、昨年までは、仕事で海外に在住することは珍しいことではありません。昭和60年から平成5年くらいまではどうだったのでしょうか。

私が働いていたのでは、小さい商社でした。海外に転勤という社員はいませんでしたが、取引先や知人から海外在住の待遇などを耳にしました。

アジアの駐在員は、ハウスキーパーと運転手が派遣されました。給与には、海外在住手当があり、10年も滞在すれば、家が建つと言われていました。

駐在員の子供は、日本に帰国したときは帰国子女枠で進学していました。欧米は本当に、優秀な社員が派遣され、海外転勤はエリートコースでした。

平成に入り、バブル時代には、シリコンバレーに駐在する方が出始めたのもそのころです。サンフランシスコの住宅事情を鑑みると、駐在員にかかる経費はとんでもない金額でした。私が知っているシリコンバレー駐在員はシステムインテグレータ系、大手通信事業系、自動車関連の会社の方でした。

令和の現在ではアメリカ駐在も、ITに、飲食関連や、金融、教育、メディアなどあらゆる業界が進出しています。現地採用の日本人を増えてきて、びっくりするような好待遇は、少なくなりました。

反対にアジアの駐在員は増えてきています。5年くらい前は、中国とインドへ駐在員が目立っていました。その後、インドネシア、マレーシアに投資が集まるとIT関連の起業が開発拠点を置いたため、派手なエンジニアの募集がありました。

今年の2月から新型肺炎の影響で海外との往来が制限されています。今後、日本の会社が設立される地域はどこになるかは、わかりません。とりあえず、台湾は安全です。海外進出したい企業さんはぜひ、台湾で会社設立しt下さい。

サポートしていただけたら、とっても嬉しいです。昭和の文化をとことん、語ってみたいと思います。昭和のOL仕事についてお知りになりたいことがあれば、コメント下さい。noteでお答えいたします。