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令和の東京の女の子は、高校時代からお化粧していると聞きます。昭和40年代生まれで、地方都市に住んでいる田舎娘だった私は、高校の卒業式の一週間後に、初めてお化粧をしました。お化粧した私の顔は、「誰?」というくらい変わっていました。

高校を卒業したら化粧をしよう

女子高生は、高校を卒業すると進学と就職で進む道が分かれます。さすがに昭和50年代になれば、高校を卒業した後は、「花嫁修業をするので、進学も就職もしません」という女子生徒はいませんでした。

昭和50年代の地方の高校では、学校内では化粧は禁止です。地方の女子高生は学校内はもちろん、休日に遊びに行くときも、ノーメークです。都心でおしゃれな女の子は、休日はお化粧して、遊びに行っていたらしいですが、私のクラスメートも、家の近所の友達もお化粧している女の子は、誰もいませんでした。

お化粧の仕方は、どうやって学ぶのでしょうか。母親から娘に教えるものでしょうか。私の母は、めったに化粧をしませんでした。冠婚葬祭や、休日にお出かけする時くらいしか、化粧をしていませんでした。その化粧のしかたも、「てきとー」で、母から化粧の仕方を教えてほしいとはおもえませんでした。

クラスメイトは、街の化粧品店の娘さん

高校の卒業式を終えて、一週間後に、高校のクラスメイトから、「○○さんのお店に化粧の練習に行こう」とお誘いを受けました。○○さんは、街の化粧品店の娘さんです。「お小遣いが少ないから、化粧品は買えないよ」と言ったところ、「お試しだけでいいみたいだよ。サンプルもくれるらしい。」ということで、友達と二人で、化粧品店に行き、化粧をしてもらいました。私は、それまで洗顔は、普通の固形石鹸で洗ってましたし、化粧水や乳液も使ってませんでした。日焼け止めなんで考えもしませんでした。

化粧部員さんが、私の顔に、基礎化粧品の使い方から、ベースメーク、ファンデーション、眉を整え、アイシャドーやチーク、リップとフルメークを施してくれました。

化粧部員さんが言った印象に残った言葉は、「つけまつ毛もあるけど、流行ってないからマスカラにしますね。」です。

昭和59年頃、「つけまつ毛」なんて歌手の和田アキ子さんが付けていたということしか知りませんでした。「マスカラ」といえは、「ミルマスカラス」知りませんでした。まつ毛をカールするビューラーという不思議な道具の使い方もこのとき知りました。

ビューラーでまつ毛をカールして、マスカラを塗った私の目は、ずいぶん大きくはっきりした印象になりました。化粧が終了し、化粧ケープをはずした私の顔は、別人のようでした。友人たちも、「きれい、きれい、すごい、すごい」と称賛?してくれて、ちょっと得意になりました。

自宅に帰ってからも、「すごい、すごい」と称賛を受けました。
この時、フルメークは、落とすのが大変だということを知りました。コールドクリームを塗って、ふき取り、石鹸で洗ってもなかなか落ちなくて苦労しました。

化粧をすることは、ぜんぜん苦にならない

その後、私はアルバイトをして、基礎化粧品から一つずつ揃えていきました。進学した専門学校にも、アルバイトをしていたファーストフード店にも化粧をしていきました。化粧がめんどうだと思ったことは一度もありません。

初めて化粧をしてから、2年後にアイシャドーやチーク、リップをまとめて、デパートの化粧品売り場で、買ったことがあります。その時、化粧部員さんに、太目の眉毛、ノーズシャドー、アイメイクはブルー系で化粧をされました。その後に来るバブル期を先取りしたような顔になったのには驚きです。

まとめ

現在では、雑誌やインターネットでコスメ情報が氾濫していますし、価格の安いコスメもたくさん売っています。私のクラスメイトのお店は「資生堂」の化粧品を販売していました。昭和50年代くらいまでは、地方の女性は、「資生堂」か「カネボウ」の化粧品を買っていました。訪問販売の化粧品を使っている方もけっこういました。化粧の常識も変わってきました。私は、日焼け止めクリームを一年中つかうようになるとは、予測もできませんでした。

令和の女の子は、初めて化粧をするのは、何歳くらいなのか予測もできませんが、基礎化粧品くらいは、中学生くらいから使ったほうが良いと思います。日焼け止めクリームも塗っておくと大人になった時にシミに悩まなくていいですよ。

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