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ハチさんの「砂漠」に思う - 砂の惑星



何だか騒がしいことになってます。
ハチさんの「砂の惑星」の話ですよ。
ドーナツホールから約4年弱を経てのボカロ曲、しかも最短で伝説入り。
マジカルミライ2017テーマソングにも選ばれるという。
まさに夏の話題にもってこいな作品です。
それが、最近になって極一部で荒れてるとか。

◇ハチ MV「砂の惑星 feat.初音ミク」(ニコ動)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm31606995

◇ハチ MV「砂の惑星 feat.初音ミク」(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=AS4q9yaWJkI

◇砂の惑星 - 初音ミク Wiki
https://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/36481.html

砂漠という比喩が衰退論を思わせる言葉選びなのは分かるんですが、それは誤解だと思ってたのですよ。

ハチさんは、そもそもボカロシーン全体を俯瞰して「砂の惑星」を描いた訳じゃあないだろう。あれは、ハチさんにとっっての初音ミク作品の自己内部のイメージを描いてるのだと思う。他のボカロPさんは他の惑星を持っている。あれはあくまでハチさんだけの惑星なのだ、そう私は漠然と思ってる。(22:48 - 2017年7月23日)

なんて事をツイッターで書いてたりしました。こころりPさんも、あれは「ハチさんの砂場」だから色々言っても意味が無い、と呟かれてたわけで。
ところが「砂の惑星」、まさかハチさん・ryoさんのビッグ2対談で語られるとは思ってませんでした。

◇ハチ(米津玄師)×ryo(supercell) 2人の目に映るボカロシーンの過去と未来(2017年8月10日)
http://natalie.mu/music/pp/hachi_ryo

ハチさんにとっての初音ミク(ボカロ)作品のイメージを描いている、というのはその通りだったんですが、ニコ動全体のイメージを砂漠に喩えた作品でもあったわけです。

ハチ 最初に依頼していただいたときは「どうしようかな……」と考えていたんですよ。で、最近のニコニコ動画をずっと観ていたんです。ランキングとか、自分が観なくなってから流行った動画とかをさかのぼって観たりして。なんと言うか、僕が投稿していた時期とは明らかに景色が違う。ニコニコ動画というもの自体がどんどん砂漠になっているというイメージが広がっていって。「ああ、これ、砂漠だな」と思ったときに、自分がかつて過ごしてきた一種の故郷である、ニコニコ動画が砂漠になっていく光景を曲にしたら面白いんじゃないかと思ったんです。今のニコニコ動画を表現するべきと言うか、する人がいてもいいんじゃないか、と。これならやる意味があるかなと思って、依頼を受けました。

ここが、今のボカロシーンを砂漠に喩えたように思われて、荒れる原因になったのではと。たしかに砂漠というと、あの忌まわしい「焼け野原」という言葉で語られた衰退論に似た言葉に聞こえるんですが。ツイッターでは、6ださんの指摘がありました。ハチさんに大きな影響を与えた、バンド・デシネの「砂漠」をイメージしているのではないかと。

◇米津玄師さん直撃インタビュー。多くの人の心を打つ曲の奥にあるものとは?(Oct 21, 2016)
http://www.j-wave.co.jp/original/tokyounited/archives/the-hidden-story/2016/10/21-105014.html

簡潔に言うと、"遠い未来、滅んでしまった東京"、"砂漠になっちゃった東京"というイメージ。なんで砂漠なのかなって自分でも考えてみたんですけど、自分のなかのバンドデシネ感というか、バンドデシネってなぜか砂漠感があるんです。それはメビウスっていうフランスのバンドデシネの、ほんとに超巨匠みたいな人がいて、その人がよく砂漠で絵を描くんですよ。それで砂漠なんだろうなって、自分では思っています。砂漠のパブリックイメージって、生き物が生きていけない場所だとか、そういう過酷なイメージで、実際過酷だと思うんです。でも、なんかすごくやさしいイメージというか、救われる何かというものを個人的に見いだしていて。いつかはなくなるものじゃないですか、すべてにおいて。自分も自分の友達も家族も、そういう人たちって100年後にはもう生きてないじゃないですか。どうせ終わっちゃうんだよなっていう感覚が自分のなかにあって。東京もいつか分かんないですけど砂漠になるとしたら、それはそれで救いのある光景なんですね、自分にとっては。
……普遍的な何かが、ファンタジーだからこそものすごく浮き彫りになって、それでしか表現できないやり方というものがあると思うんです。もっと現実に目を向けろとか言われたりしますけど、ファンタジーこそものすごい現実だと思いますね。
……自分も結局どこかで負け犬であって、負け犬の自分である以上、それは音楽にするべきであって、音楽にすることによって誰かひとりでもいいからそれに触発されて、自分がいまいる場所、自分がいま見ている景色っていうのがほんの少しでもいいから変わってほしいなと思います。

◇バンド・デシネ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%8D

バンド・デシネ(フランス語:bande dessinée)は、ベルギー・フランスを中心とした地域の漫画のことである。略称はB.D.(ベデ)であり、バンデシネとも呼ばれる。

◇バンド・デシネ:Google画像検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%B7%E3%83%8D&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjz-t3j2dLVAhUDnZQKHZ2kCxYQ_AUICigB&biw=1366&bih=662

実際に過酷なのだけれども、遠未来の優しい救いのある風景としてのイメージもある。ハチさんにとっての「砂漠」はそんな二重性を持っており、作品を生み出す際の原風景でもある、ということです。だから、ハチさんの「砂漠」を単純に衰退論に結び付けるのは避ける方がいい。このあたりは、falkbeerさんも言及していました。

このインタビューを踏まえて、対談から抜粋していきますと。

ニコニコ動画というもの自体がどんどん砂漠になっているというイメージが広がっていって。「ああ、これ、砂漠だな」と思ったときに、自分がかつて過ごしてきた一種の故郷である、ニコニコ動画が砂漠になっていく光景を曲にしたら面白いんじゃないかと思ったんです。今のニコニコ動画を表現するべきと言うか、する人がいてもいいんじゃないか、と。
──でも、ハチさんには単なる皮肉でなく、未来につなぐという意志もあったんだと思うんですが。どうでしょう?
ハチ そうですね。未来につないでくださいって。俺はもう知らないです。
──「後は誰かが勝手にどうぞ」って言ってますもんね、歌詞では。
ハチ 「それをやるのは俺じゃないでしょう」っていう。「砂の惑星」が1つの起爆剤になってほしいとは思いますけれど、根本的に「俺が全部ひっくり返してやるぜ」なんてふうにはまったく思ってなくて。むしろ、どんどん新しい人たちが出てきてほしい。これがきっかけで砂漠にまた1つ木が生えてくれたらいいなって感じですね。その木の周りで新たに誰かが土を耕して、稲とか植え出して、それが実っていけばいいんじゃないかという。
ハチ うん、そういう人たちに出てきてほしいですよね。バルーンさんとか、ナユタン星人とか、n-bunaくんとか、新しい世代の人たちが出てきてるので、そういう人たちにがんばってもらいたい。そしてその子らに影響を受けたさらに若い子たちが出てきて……というふうにどんどん続いていってほしいなと思いますね。

ハチさんが「砂漠」という言葉を否定的のみに見ておらず、また今のボカロシーンにも否定的感情を持っていないのは明らかです。
バルーンさんやナユタン星人さんやナブナさんといった、今のボカロシーンでミリオン保持している作者さんたちを念頭に置いて、今後実り多い作品が生まれていく土壌としてのニコ動をあえて「砂漠」と形容しているだけでしょう。

ただ、米津玄師としてニコ動外で忙しく活動したハチさんは、ボカロシーン全体を捉えきれていないのも事実だと思います。そもそも、私は米津玄師さん的活動の方がメインだと思っているので、ハチさんがボカロに寄り道したのも僥倖だと思っていますから。

ランキングとか、自分が観なくなってから流行った動画とかをさかのぼって観たりして。なんと言うか、僕が投稿していた時期とは明らかに景色が違う。

僅かな時間を割いて参照したのが公式ランキングとかだけなら、そりゃまあ今のボカロシーンの面白さは見えていないと思いますね。再生数が少なくても、優れた作品は星の数ほどありますし。今キーワード検索するとVOCALOID作品は50万以上ですが、その中で10万再生した作品数は6000余り。約1%少しなわけで、もし殿堂以上しか見てないなら残りの99%近くにも目を向けてくださいよ、とは言いたくなります。

再生数ミリオン越えの作品(キーワード:VOCALOID)をカウントしてみましょう。

2007年:24作品、2008年:47作品、2009年:59作品、2010年:62作品、2011年:59作品、2012年:64作品、2013年:48作品、2014年:27作品、2015年:16作品、2016年:18作品、2017年:4作品

(2017年8月13日時点)

確かに、がくっと2014年度以降はミリオンが減少したように見えます。2007~2013年頃の黎明期から黄金期にかけての作品群(ryoさんのメルトからハチさんのドーナツホールはここに入りますね)ばかり目に入る人は、すぐに衰退がどーのこーのと言うわけですが。
では投稿数の推移(キーワード:VOCALOID)はどうでしょうか。

2007年9~12月:8925作品、2008年:31848作品、2009年:35745作品、2010年:47681作品、2011年:57578作品、2012年:69791作品、2013年:65433作品、2014年:57321作品、2015年:53513作品、2016年:47693作品、2017年1月1日~8月13日:28225作品
(参照:2016年8月13日~2017年8月13日:46481作品)

往時に比べて減ったとはいえ、最盛期の3分の2は投稿数があります。キーワード:VOCALOIDで括っているので、UTAUやCeVIOなど他の合成音声作品もひっくるめての話ですが。しかし、ブームは5年持てば十分という話も聞いたことがある中、もはや初音ミクは10周年です。これで衰退だとか言いたい人には言わせておけばいいんじゃないでしょうか。私個人としては、2012~2013年の黄金期時代がむしろ過剰であったので、VOCALOIDはブームから脱却してコンテンツ・ジャンルとして落ち着いてきている、現状こそが適正な状況に向けて調整中なのだという意見ですけどね。
2007年以降増加もしないマイリスト数、改善どころか退化の一途である検索方式、ボカロ動画引用生放送系への冷遇など、ニコ動のシステム的な怠慢があってこれだけ投稿数を維持できているのは、ひとえにボカロユーザーのボカロ愛あってのことだと思います。できれば、ニコ動のような「井戸が枯れる前に早く」出て行きたいものですが、移住先も難しいのでずるずる居座っている、と言うのが現状でしょう。

言いたいことは言った気がするので、後は付け足しですが、歌詞解釈も一部。コメントでも指摘されているので目新しいものではないです。

「ハッピーバースデイ」というのは、初音ミク10周年とともに、「砂の惑星」が投稿された7月21日と同日投稿の「リンネ」7周年を祝ったものです。MVラストで映される巨大なガラクタの山で象られたケーキにイチゴが7つ、蝋燭が10本立っているのを見ても明らかでしょう。

(訂正)6ださんから突っ込みを頂きまして、イチゴは8つでしたね。何ともすいませんでしたm(_ _)m まあ、ハチさんを意味する8つなのであれば、「リンネ」の7周年祝いだけではなく、あのケーキはハチさん自身、ひいてはハチさんの作品群を表していると取って良いでしょう。

そうすると、「有象無象の墓」という歌詞の際に、このケーキの前を通り過ぎるわけですから、この墓=ケーキこそ「リンネ」等の自作品を示したハチさんの自嘲。「廃れた砂漠」だの「この井戸が枯れる前に早く」だのボカロシーンを煽るような言葉に見えますが、ハチさんが4年ほど放置していたハチさん自身のボカロ惑星の現状であり、「君が今も生きてるなら 応えてくれ僕に」「君の心死なずいるなら 応答せよ早急に」――これも初音ミクからハチさん自身に向けた言葉なのです。で、ボカロP免許が「砂の惑星」で更新されたので、ミクさんから「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」と許されたとw

メルトショックから電子音まで懐古しているのはハチさん、「混沌の夢みたいな歌」「天空の城」を望んでいるのもハチさん。でも、もはやニコ動はハチさんの故郷の一つであっても、主たる活動場所ではありません。「風が吹き曝しなお進む砂の惑星」――進んでいくのは初音ミク/ボカロであり、私たちボカロユーザー・リスナーなのです。



※トップ画像は「砂の惑星」MVから引用させて頂きました。問題があれば、ご指摘ください。また、作品数のカウントには、ごくりんさん製作のニコニコ超検索を用いています。http://gokulin.info/

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