太った体は何を着ても隠せない ― 肥った肉体は不浄である

肥っている肉体についているその脂肪とは、消費しきれなかった、元・食べ物である。
だから、脂肪をくっつけた体で生きているということは、腐った食べ物を体じゅうにぶら下げて生きているようなものである。
腐臭がしないのが不思議なくらいだ。
「太っている」という状態は、「不潔感がある」のではなく「実際に不潔」なのだ。

食べ物は常温で置いておけば遅かれ早かれ腐るが、もとは食べ物だった脂肪は体温で温め続けられながら体にへばりついている。
体にまとわりついている脂肪は成仏できなかった食品の亡霊である。
太った人がすぐに何かを飲んだり食べたりしたくなるのは体に乗っている食べ物の亡霊が仲間を呼んでいるからだと思う。
しかし、太っている当の本人は、すぐに食べ物を欲しがる卑しい自らの姿に無自覚である。
なぜならすでに食べ物の亡霊に憑りつかれているからである。
正気を取り戻すには、脂肪をはがすことが必要になる。
さもなければ、いずれ自分が食べた物のせいで病気になり、食べ物の亡霊と共倒れするだろう。
神職や僧職が行の前に断食をするのは、体内の血肉に混入している食べ物の亡霊を殲滅させてきれいな状態になってから神仏と相対するためではないか。
断食で完全には贅肉を落とせなかったとしても、少なくとも消化器官の中には余分なものを入れていない、純粋に「本人」だけの状態になれる。
断食は食べ物の亡霊の除霊、体内のゴーストバスターと言える。

肥っている状態が、腐った食べ物を体じゅうにまとわりつけている状態であることからすれと、太った自分というのは、本当の自分に腐った生ごみをまとったゴミまみれの自分である。
贅肉は、粘土に似ている。その正体は血肉化し、自分と一体化した食べ物である。
太っていると自己嫌悪に陥るのは、太っている自分の姿が醜いというだけでなはない。
今のこの姿の自分は本当の自分じゃないのに、という不本意さが常に深層心理にわだかまっていることによる。
しかも悪いことに、人間というのはなかなか痩せないから、二乗になったこの自己嫌悪感が痩せるまで長引く。
かように肥っていることは、不浄なだけでなく、精神衛生上悪い。

太った体を隠したくて太った体型をカモフラージュするような服を着ても、動きや布の落ち方で太っていることはすぐ分かる。
そのため、肥っていることは、何を着ても隠せないものなのだ。

痩せている人は、たとえ生まれつき優れた容姿ではなくても、余分なものがついていないという点で「きれい」ではある。
肥った人は、体の至るところに排泄物が溜まっているようなもの。
一方痩せた人は体内の掃除が行き届いている、つまり清潔。

太っている人は老けて見える。
それは体中に老廃物が溜まって、詰まって、実際に肉体が老化しているから。
成長期を過ぎれば、必要以上に食べると老ける。
必要以上に取り込まれた食べ物は肉体をむしばむ。

痩せた人は少なくとも食に関しては貪欲ではない。
動物は必要以上に食べない。必要以上に食べるのは畜生以下ではないか。
太った体は貪欲さという精神的な卑しさをも表している。

太っていてかわいいのはあかちゃんくらい。
でも、太ったあかちゃんの脂肪も数年のうちになくなるからこそ、かわいい。

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