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昭和50年代の姫路市広畑区西蒲田

前回記事の「ヒロシンのこと」や以前の「プラザセイコーのこと」と関連する幼少期を過ごした姫路市広畑区西蒲田の街の様子を綴っていきます。

昔住んでいた実家近辺の超ローカルな話ですが、自分の記憶の出力として綴ります。

姫路市広畑区西蒲田というのは、かつて昭和期に製鉄で栄えた新日鉄の広畑製鉄所の北外れにある街で、当時我々の同級生のお父さんの多くはこの新日鉄へ勤めておられました。  

ただし新日鉄のある所は隣の小学校区で、うちはその影響を受けた地域ではあるものの、鉄道駅もないのどかな街でした。

これまで取り上げたプラザセイコーやヒロシンを除く思い出の地をピンポイントに。

◎西蒲田天満宮
これは現存していますが、当時はこのような呼称がなく、単に「お宮さん」と呼ばれていました。この写真の左側に写っているものです。
秋祭りの時は、当時子ども祭り(現在は大人の祭り)で、最後に屋台蔵へ入る前に〆的に寄っていた場所でした。
また小学生の頃は毎年夏休みの前半8/10まで、ここで毎朝ラジオ体操をしていました。朝早くにこのお宮さんに行って、ラジオ体操をやって「出」の印をもらうのが楽しみでした。
小学校の授業でここへ寄って写生した事もありました。この写真の左側に写っている木が印象的ですが、絵を書いてる時には必ずこの木を書いていました(笑)

◎文進堂
写真の左側、西蒲田天満宮の向かいにある建物にあった文房具店です。西蒲田天満宮の横にはプラザセイコーがあって色んな物が買えましたが、文房具に関してはこの文進堂へ行ってました。画用紙とか絵の具とか鉛筆とか…。あとこの店にはコピーがあったので、お金を払って時々やってました。今でこそどこでもコピーできますが、昭和50年代の田舎にはなかなかなかったのです。

この文房具店は1990年前後に近所へ移転して少し大きな店になりましたが、その後廃業されています。

◎三和スチール

うちから田んぼを隔てた向かいにあった、家から最も近い会社、でした。
新日鉄系の会社で現存するようですが、この工場からなる始業や終業のサイレンが、甲子園の高校野球のものと同じ「アーーーーー」というもので、これを聞いて時刻を把握していたようなものでした。

◎田村のパン屋

うちから最寄りのパン屋さんで、プラザセイコーより近くにあって、30円とか50円でパンを買っていた気がします。
「西湖堂のパン」の看板が印象的なお店で、1家屋にパンだけが売っていました。
コンビニなんてない時代だったので、いろんなお店でいろんな物を買ってました。

◎すがの電機
「電機」という商号でしたが我々にとっては近所の駄菓子屋兼ゲームセンターでした。
人生でいちばん安い買い物として、5円のアメ玉を買ってました。大玉だと10円で。
ゲームはボタンでボールを弾き出して、返ってきたところを両サイドのレバーで(ボタンを押して)弾き返す、そんな感じのものでした。

このお店は店主の方が足の悪いおじいさんでしたが、歩くのも厳しそうな状態で、よく狆の犬を散歩させてたのを覚えています。

◎松田酒店

プラザセイコーにも文進堂にも取扱のないものとして「切手」がありました。で、どこで売ってるのか?と親に聞いたら、ここだというので言ってました。小学校身分で酒屋さんなんて普段用がない訳ですが、切手だけはここで買ってました。当時は20円切手でハガキ郵送できました。30円、40円と上がるの早かったですが。
後にセイコーマートまつだと名称変更されていましたが、まだセイコーマートが世に知れ渡ってなかった時期の事でした。

◎西蒲田公民館
子ども会行事に欠かせない地域の中心機関でした。公設の公民館ではなく自治会運営のものです。
ここから放送が流れてきて、ソフトボールの集合場所へ行ったり、町の盆踊り前の練習をしたり、祭りの前の太鼓練習を一週間したり。
一番楽しかったのは、映画鑑賞でしょうか。ジャッキーチェンの初期の映画をやってたかと思いますが、楽しいひと時だった覚えがあります。
また精米所もあったので、父に付き合って米ぬか取りも見ていました。
中学に上がると無縁の場所になったのが今思えば残念です。

◎西蒲田バス停
亡き父がバス通いをしていたので、低学年の一時期小学校から帰った後、このバス停まで父を迎えに行って家までの300m程を歩いていた日々がありました。
5年生以降は市の中心部へ出るのに使うようになり、月一の文字で初めて友達と行く事になった時、このバス停付近で事故がありました。忘れもしない1981年11月、ばを持っていたおばさんが突っ込んできた車に跳ね飛ばされて重症を負っていました。来た時には既に倒れられていましたが、自分がもし早く着いていたら…。
後日この件が新聞に載り、おばさんか失くなられた事を知りました。跳ねた運転手は高血圧で最高200くらいの時もあるほどだったといい、小学生ながらなんともやりきれませんでした。

まだあるかも…ですが、第1弾として今回はこれにて。





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