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日本三大弁財天 江島神社②

昨日の続きです👇

ちょっと進むと出てきます。👇

福石 ・ 江の島弁財天道標

福石

瑞心門から石段を数段上ったところにあります。

江の島にこもり21日間の断食をして鍼の技術上達を祈願した杉山和一(検校)は、満願の日の帰り道に、この石につまづき倒れ気を失ってしまいます。その時、夢の中に弁財天が現れ、手を合わせて拝もうとしたところ、チクチクと身体を刺すものがありました。
夢から覚めた和一が、手にとっていたのは松葉の入った竹の筒。
これをヒントに和一は、管鍼術(くだはりじゅつ)を考案、江戸で開業して出世道を歩んでいくことになります。

ホームページより

そして、最初に出てくるのは、辺津宮🌈

辺津宮:人がいっぱい並んでいます✨

辺津宮は、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をお祀りしています。

宗像三女神
天照大神が国つくりの前(天孫降臨より以前)、
「うけい」により生まれたこの三女神に対し「九州から半島、大陸へつながる海の道(海北道中)へ降りて、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と神勅を示した。
このことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになった。これが宗像大社が祀る、沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」である。

Wikipediaより

そうなんです。調べてみると、辺津宮が市杵島姫神(イチキシマヒメ)だったり、古事記と日本書紀では違っているようです。名前も漢字とかちょっとずつ違う。捻じ曲げられちゃってて、理解がムズカシイ・・・・


立派な木がありました 木が好き🌳
こちらカッコいいですね。江島神社の社紋だそうです。

江島神社の社紋は、北条家の家紋「三枚の鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「向い波の中の三つの鱗」を表現しています。

※『太平記』によれば、建久三年(1190年)鎌倉幕府を司った北条時政が、子孫繁栄を願うため江の島の御窟(現在の岩屋)に参籠したところ、満願の夜に弁財天が現れました。時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられています。

銭洗い白龍王 白龍池
奉安殿 

辺津宮境内の八角のお堂・奉安殿には、日本三大弁財天として有名な八臂弁財天はっぴべんざいてん(国指定重要文化財)と裸弁財天・妙音弁財天(市指定重要文化財)が祀られています。

江戸時代には、この江島弁財天への信仰が集まり、江の島詣の人々で大変な賑わいを見せました。

※拝観時間午前8時30分~午後4時30分/拝観料:大人200円 中高生:100円 小学生:50円  小学生未満:無料 (25名~団体割引)

ホームページより

蛇の存在感が凄い🐍

この中でおみくじ引きました。中吉だったかな?! 忘れちゃったけど、今のわたしにピッタリのメッセージを頂きました。ありがとうございます🙏

次は中津宮へ❣

なんですが、お時間になりましたので、また次回。

あしびなさんの振り返り👇
同じ内容を違った視点から( ´∀` ) どうぞ😁

紹介し合いっこ🤣🤣🤣

🌈🐉⛩今日も最後までお読みいただき
     ありがとうございました⛩🐉🌈

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