視える世界は人それぞれ。

みなさんこんにちは!
れおっちです😊

新居に愛しのえりなと引っ越してから
やっとお休みがとれてるれおっちです😅

やっぱり日常があるからこそ、
「休み」という非日常の有難みが増すんだなって。

そんなこんなで朝からえりなとまったり
過ごしてます!

さて。
その何気ないやり取りの中にオモロイことが
あったのでシェアします😁

えりなが部屋の至るところに貼ってあるシールを
見てなにやらお怒り気味な様子。

もうーーー!!これ貼った人はなんね?!?
一生ここに住むつもりだったんか?!
こーゆーの気になるぅ!!😠プンプンッ

そんなって怒ってる様子もカワイイなーとか
思って見てたわけですが、ふと思ったんです。

あ~えりなは「綺麗好き」なわけで
だから気になるし、気づくし、視えるんだなって。

れおっちははっきり言って、シールとか
どうでもいいって言うか
(こんなこと言ったらえりなに怒られるけど笑)
気にならないわけです。

気にならないから、ある意味気づかないというか
大事としてその物事を捉えないわけですね?

これってめちゃめちゃ大発見だと思うんですよね。

要は「綺麗好き」だから視える世界がある
ということだと思うんです。

それはその人にしか知覚できなくて、
近くできるからこそそこに対して何かを思い、
そして行動できる。アプローチできる。

つまり、その世界を変えることができるんです。

これってその人ならではの「視え方」や「捉え方」があるからこそ、なわけです。

ある意味視えない世界を視えない側がどうのこうの
できないわけで。

逆にえりなには視えないけれど、
れおっちにしか視えない世界もあるわけで。

だからこそ、れおっちが思ってるのは
視える人、気づける人は
それを視えない人や気づけない人に
シェアすべきだということ。

人の違いは「きっかけ」だと思うんです。
たった一つのきっかけが、
今までにあったかどうか。
それだけ。

それで人生が変わってしまうことを
れおっちは知ったんです。

もちろん、視えない側が新しい世界に
触れようとすることは大事。

それによって自分の世界に視えていることが
アタリマエなんかじゃないということを
知ることができるから。  

でもやっぱり、
視えないこと、気づけないことに
それをできない側ができるようにするのは
簡単なことじゃない。

だったら、できる側がそれをシェアしてあげれば
いい。

そうやって人は助け合って生きていくんだと思う。

そして、できないことがあるからこそ
できる人に対して敬意が払えるし、
感謝できる。

そして、この世界は
みんな違うからこそオモシロイんじゃないか!!

れおっちはそんな風に思うのです😁

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