勝手にヒーロー(何故、国賠訴訟をしているか)

最近、高校の記事に触れることが多々あり、
未来を生きる子供達が納得できる人生を送れるように、想いを残したくて、勝手にヒーローさせていただきます。

私の思いは、
この世の中の表裏の仕組みを理解してほしい事です。理不尽、不条理を諦めるのではなく、どのように対峙し向き合っていくのかを、一人ひとりが自分で考えて
誰かの責にしない人生を送ってほしいこと
です。

人生を半世紀近く生きてきて思うことは、
人は人を傷つけ、時に生命や心の命を奪います。
自尊心を滅茶苦茶にされたり、自殺に追いやったり。目の当たりにしてきました。
でも、一方では人を救う事も、幸せな気分にすることもできる。
それが、人だと思っています。

その中で私が解せないことは、
立場的に優位な人たちが、自分達で作ったルールに自分達は従わなくてもいいと勝手にルール化し、しかしながら、弱者に対しては有無をいわさずルールを強制する、
その事がどうしても解せない。
皆とはいいません。

持論ですが、
尊敬するはあっても良い縦の関係。
尊敬しなさいはなくても良い縦の関係。
基本、人としての立場はイコールだと思っています。

役職等の上下はあるとはいえ、限定される範疇のものであるはずなのに、時に権力を使って全てを自分の思い通りにしようとする人たちがいる。
でも、そういう人達は私自身の経験上、あまり悪いという感覚は持ち合わせていないように感じます。
原因を自分なりに考えてみると、
その人間に関わってきた人達がその場凌ぎの、自分さえ良ければ、という感情や対応がそういう人達を作り上げてきたんだとの考えに至っています。それが、当たり前のように常態化している事。
若い世代の人たちには、先人の悪しき行いを当たり前のように引き継いでほしくない、そういう思いから、私自身に関わる小さな出来事をここまでずっと続けているんだと思います。

私の中では、戦いではなく、問い掛け。
一人でも多くの権力者や未来を生きる若者に何か気づいてもらいたい、考えてもらいたい、そういう思いから。
口だけの綺麗事なら誰でも言える。
簡単です。でも、心には刺さらないんだろうと思ってます。
私の行っている事を、どのように捉えてもらってもかまわない。刺さる人にだけささればいい。そこからまた何かが受け継がれるかもしれない、そう思っての行動です。

子供にはずっと心配されてます。
でも、私の行動や経験から間違いなく何かは学びとってる、そうも感じます。
でも、自分の子供にだけ学びとってもらっても意味がない。

自身の件。
何故か国は正面きっての戦いを避けたがっているように感じてます。
自分達の行いに悪意や間違いがないと判断するのなら、正々堂々と対峙すれば良いだけの事。
誰かを悪者にしたい訳じゃない。
ただ、一人でも多くの人に何かを感じてもらいたい。権力者側の人には、こんな人間もいるんだよと知ってもらいたい。
そして、証しとして
公判記録を残したい。
そのためにはじめたnoteです。
そんな想いで戦っています😊

この国を諦めたくないんです。
私、ホントにおめでたい馬鹿な奴なんです。
だから勝手にヒーローと友人が名付けたのでしょうね😊
それもまもなく終わりにしたいなと思ってきている今日この頃です。

読んでいただいて
ありがとうございました🙏🙇😊

終わり




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