ステージが変わる時

  昨日は即位礼正殿の儀をテレビにかじりついて見ていた。新しい時代になったのだな、と改めて実感させられる。厳かな空気を、テレビ越しにでも感じられて背筋が伸びる思いだ。そして、伝統を大切にしながらも、時代時代に沿って新しいものを取り入れていく姿勢は、今を生きるわたしたちに必要なことだと思う。

  もうすぐ夫が会社を辞める。転職活動と同時に、不労所得を得るための勉強を始めた。実際に株式投資はもうやり出している。正直不安でたまらない。「今の仕事をしている限り、時間と心に余裕がない。今のままだったら最期を迎えるとき、いい人生だったなとは思えない。このラットレースから抜け出したい」そう言われたとき、納得したつもりだった。それなのに、今月の給与を見たら涙が出てきた。この年齢にしては貰っている方だと思う。わたしが専業主婦でいられて、息子がいくつかの習い事をして、新鮮な食材を選べて、旅行にも行けて、多少の貯金もできていた。この生活を失うかもしれない、そう思うと絶望的な気持ちになった。わたしも働かなくちゃ。求人を見る。変化にストレスを感じやすい息子の生活は変えたくない。幼稚園バスの番線はひと月ごとに変わるので、どの番線になっても影響が出ない働き方をするとなると、働けるのは○時〜○時までと限定された三時間しかない。長期休暇は?義実家や実家にお願いする?嫌だ、わたしが息子と一緒にいたい。悔しくてまた涙が滲む。どうしたらいいのか、答えはまだ出ない。

  〝12年働いて月給14万円〟にホリエモンこと堀江貴文さんが噛み付いた、と話題になった。堀江さんの意見は真っ当だ。それは理解できるのだけれど〝14万円を手放せない〟気持ちもすごくわかる。この14万円を手放したら、更に少なく、いや下手したら0円になるかもしれない。だったら14万円でいい。ふと、若林正恭さんの「ナナメの夕暮れ」に書いてあった〝ネガティブな人間がいる理由の諸説ある一つ〟の話を思い出した。

人間が狩猟生活をしていた時代、今いる場所から移動して新たな食料を得ようとするのがポジティブな人間なら、移動先には予測できない危険があるかもしれないから移動しないほうがと良いと主張するのがネガティブな人間だという説。

    狩猟、今でいう仕事だ。時代は変わっても、人間に根付いた本能は変わらないんだな、と思う。保守的に生きるか、進歩的に生きるか。移動せず空腹で野垂れ死ぬことを選ぶのか、死ぬかもしれないけれど、潤沢な食料を得られる可能性を選ぶのか。もっと言うと、前者は確実に死ぬ。後者は死ぬかもしれないし、生き延びるかもしれない。「移動しよう」と言う夫に、とぼとぼと付いて行く。「移動しない方がいいんじゃない?」と不安になりながらも、渋々でも、足取りは重くとも、取り敢えず歩みを進めていくしかない。

  「○○ちゃんのお母さんにばったり会ったよ。自転車の前と後ろにお孫ちゃん二人自転車に乗せて、保育園の帰りって言ってたよ」ひと月前、離婚に向けて動き出した親友は仕事を始め、子供たちは保育園に通い出した。文字を通して聞いてはいたが、彼女の母親と子供たちのその目撃談を耳にして初めて現実なんだな、と思った。彼女も移動しているんだ、うん。個人個人のステージが変わるときなんだ。

  文章がとっ散らかってしまった。けれど、このまとまりがない感じも「今」だから、このまま残しておこう。

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