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朝比奈まふゆと私

プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク、通称プロセカの朝比奈まふゆについての記事となります。

※ネタバレが多大に含まれます
※まふゆの人間性をより掘り下げて解釈したいため、朝比奈まふゆのファンにとって不快な表現があるかもしれません
※この記事は自分なりの解釈を大いに含み、正当性はありません
※まふゆとほぼ同じ環境で育った筆者なりにまふゆを描写するので、個人的な感情が含まれます


①朝比奈まふゆはいい子

25時、ナイトコードで。(以下ニーゴ)のユニットストーリーのタイトルにもなっている通り、まふゆは「いい子」なんです。
そもそもいい子の定義って何なんでしょうね。
まず、そこからが疑問です。

気配りができる子?いつでも笑顔でいる子?誰にでも優しい子?勉強も運動もできる才能豊かな子?

まふゆは上記のどれにも該当しています。

しかし、まふゆは「〜ができる」というよりも「〜してしまう」なのです。
というよりも、上記がいい子の定義だとしたら、そんな人は世界中のどこを探してもいません。

誰しも心が傷付けば笑顔ではいられなくなるし、自分にも他人にも優しくできなくなる。

要はここなんです。まふゆは他者に優しく振る舞うことができても、自分に優しくすることができていない。


②朝比奈まふゆの家庭環境

包み隠さずに言うとめちゃくちゃめんどくさい家庭で育っています。
母親は毎日まふゆに手料理を振る舞ってくれるし、父親はまふゆのためにいくらでも学費を出すと言う。

一見裕福で恵まれた家庭に見えますが、この両親はまふゆに人生の選択を与えないのです。
まふゆがしたいことを伝えても「お母さんはこっちの方が将来のためになって良いと思う」と、常に価値観を押し付けてきます(これは瑞希の口からも絵名に対して語られていました)

その他にも、「付き合うお友達は選びなさい(要約:優秀な子だけと付き合え)」と交友関係にまで口出ししてきます。
まふゆは過保護な両親の言葉の数々に「そうだね」「ありがとう」と肯定し、一切反論はしません。

心底、まふゆの両親にもまふゆにも腹が立ちます。
両親はともかく、何故まふゆにも腹が立つのかは分かりません。


おそらく、自分が少年少女といえる年齢だった頃にまふゆと同じような両親の元で育ち、まふゆのようにただ従うだけだったから。

所謂、ただただ個人的な感情です。同族嫌悪というやつです。

そして、母親はあろうことかまふゆが愛用しているシンセサイザーを「勉強するなら要らない」という理由でゴミに出します。
まふゆのことを考えているようで考えていない。
母親としては、全てが「いい子」のまふゆのためを思った行動なのでしょう。でも、まふゆの感情は全て無視されている。

両親は俗に言う悪役ではないんです。決して悪いやつではありません。
ただ偏見にまみれており、それを無意識に我が子に押し付けてしまう人物。

そしてまふゆ自身も、そんな両親にまるで従順なペットのように従っていくうちに自らの感情を忘れてしまいます。


③鳳えむと朝比奈まふゆ

「走れ!体育祭〜実行委員は大忙し〜」のイベントストーリーでは、そもそもが越境イベントなのでえむとまふゆの会話を見ることができます。

えむは元気溌剌でいつも笑顔を絶やさないキャラ。皆に笑顔になってほしいから、あたしも笑顔で楽しく居るんだ!が信念である。
ワンダショのユニットストーリーで垣間見えましたが、えむ自身も司やメンバー達のために無理をして笑顔を作っていたことがあります。

誰かのために笑顔を見せる。それは「いい子」のまふゆと似通った部分もありますね。

えむとまふゆは二人三脚の競技でペアを組むことになります。
まふゆはえむや声援を送るクラスメイトににこやかに返事をしますが、えむは「(ひぇっ!?怖いよ〜〜〜!!)」と怯えます。

他人の笑顔にひと一番こだわりのあるえむにとって、まふゆの作り笑顔はビビり散らかすほど怖いものだったのでしょう。

それほど明らかで不自然な作り笑顔で常に学校生活を送っているのに、ニーゴのユニットストーリー序盤の時点でクラスメイトも先生も全く気付いていません。
それは「まふゆ」ではなく「いい子のまふゆ」しか眼中にないからでは、と。

えむはまふゆとペアを組んだ当初は「なんか学校で見たことがあるセンパイ」という認識しかなく、まふゆのことをよく知りませんでした。
そのため、先入観なく「まふゆ」を見たからこそ不自然な作り笑顔に気付いたのかもしれません。

そういえば、自分も高校時代に「ちゃんと笑ってよ」と言われたことがあります。
笑顔を作っているつもりなのにどうして?と感じていましたが、それは作り物に過ぎないので敏感な人にはすぐにバレてしまうのでしょうね。
まふゆと同じく、心から笑える環境に居なかったので作り物の笑顔も本当の笑顔も何も分からなかったんです。
だから、作り物の笑顔も本当の笑顔だと思い込んでいた。

当時の自分がえむに話しかけたら、きっとえむは「ひぇっ!?」と怯えていたことでしょう。


④まふゆは子供

年齢的な話ではなく、同世代と比較しての精神年齢の話です。

私は大人の定義を自分で取捨選択し、それに責任を持つことだと捉えています。
「皆で仲良くしましょう」と言われる小学生から少し成長し、中学では付き合う人間を選ぶ、所謂グループというものが出来てきます。
入る部活も友達と相談し合ったりして最終的には「いいな」と思ったものを自分で選択する。
ここで選択による失敗と成功を繰り返していくうちに、中学生は子供から大人へと成長していきます。

しかし、進路も何もかも両親が決めてしまう環境に居るまふゆは高校2年になった今でも自己選択ができないままです。

まふゆの行動は全て親の選択に基づいたものなので、自分で取捨選択することができない。それどころか、選択の方法すら分からない少女に育ってしまいました。
失敗と成功を繰り返していくことで自らに合った選択ができるようになり、それが大人への第一歩です。
両親は、悪意なくまふゆの精神的な成長を阻害してしまっています。

まふゆの普段の清楚で穏やかな立ち振る舞いだけを見ていると大人びて見えるでしょう。
しかし、それは表面上のものであり、おそらくまふゆよりずっと歳下の子供にも同じことはできます。大人っぽいふりをすることなら、大人の真似をすれば誰にだってできます。

結論を言えば、私にとってまふゆは大人っぽい振る舞いができるだけの幼い少女です。


⑤ニーゴメンバーとまふゆ

まふゆは、セカイで初めてメンバー達とナイトコード越しでなく直接会話をしました。

まふゆにとって、セカイは「いい子」のふりをしなくていい唯一の居場所でした。

その居場所を侵害されたと思ったまふゆは、メンバー達を追い出してしまいます。
セカイは自分の本当の心を投影したものなので、「いい子」でないまふゆの心に踏み込まれることが心底恐ろしかったのでしょう。

誰にも踏み込まれたくない自分の空間。
変な例えになりますが、アニメオタクであることを隠してパリピとして振る舞っている人の部屋に無断で侵入する者がいたら。
部屋に置いているオタクグッズの数々を見られる前に出て行けと言いたくなるでしょう。

まふゆにとってのセカイは安息の地であり、同時に他人に覗かれると困る場所でもあります。

そんなまふゆにも救いの手を差し伸べるニーゴメンバー達……というか主に奏。
まふゆは、それに対して「こんなものいらない!放っておいて!」と本気の怒りを見せます。
これはまふゆの両親に対しての言葉でもあるのではないでしょうか。
「お母さんとお父さんの価値観の押し付けなんていらない、放っておいて」と。

何度もまふゆを救おうとするメンバーにまふゆは徐々に心を開いていきますが、最終的にまふゆは救われたのかと言われるとそうであるとはいえません。
未だにまふゆは自分の感情がわからないまま。
「ニーゴ内では思ったことをそのまま口にしてみよう」という瑞希の提案がまふゆの振る舞いを変えていきます。
これまでは「いい子」として、どんなものに対しても肯定的な発言しかできなかったまふゆ。
絵名に対して「このイラスト、色が汚いね」「この人の表情は凄く綺麗だけど全体的なバランスは変」、瑞希に対して「MVのエフェクトが目に痛い」等、否定的な意見も口に出していきます。
当然、怒りっぽい絵名は「あんたね……!」と怒りますし、ムードメーカーの瑞希も「実際に言われるとグサッとくる」と落ち込んだ様子を見せます。

しかし、「いい子」でなくなったまふゆを受け入れられず、否定的な意見を聞きたくないなら。感情的になりやすく、承認欲求の強い絵名は真っ先にニーゴから脱退するでしょう。
しかし絵名はその素振りすら見せなかった。
「いい子」の仮面を被り、一人で何かを抱え込んでいるまふゆと接する方が居心地が悪かったのかもしれません。
自分の絵にコンプレックスを持った絵名にとって、明らかなお世辞で絵を褒められても逆に腹が立つでしょうし。


⑥朝比奈まふゆはマリオネット?

「囚われのマリオネット」イベントでは、マリオネットとまふゆを重ねた描写が多く見られます。
瑞希たちが「この人形すごい」とマリオネットに感動する横で、まふゆだけは「気持ち悪い」と感じます。

それは、イベントストーリーのタイトルにもなっている「同族嫌悪」によるものでした。

しかし、まふゆはマリオネット……いわゆる操り人形だったのでしょうか?
私は全面的にそうであるとは思いません。

なぜなら、まふゆが「いい子」として振る舞っていたのは「これを言えば親が喜ぶだろう」という自らの思いから、そこから徐々に、何も考えなくとも相手の喜ぶ言動を取ってしまうようになってしまったわけです。
つまりは、まふゆを縛り付けたのはまふゆ自身であり、誰かに操られている人形と呼ぶには相応しくないと思うから。

悪く言えばまふゆの自業自得であり、まふゆを被害者として描かれているストーリーに些か納得ができませんでした。
被害者であることには変わりないのですが、何もしていないのに加害されるような、一方的な被害者ではないのでは?と。

親はまふゆに選択権を与えなかったとはいえ、親に反抗することがまふゆに唯一できたであろう選択だと思います。
しかし、まふゆはそれをしなかった。
そうすれば人生や親との関係は大きく変わっていたかもしれないのに、まふゆは「変わらない」という選択を取ってしまった。
きっと、変化することが怖くて今まで通りの環境に居ることに甘んじた。
ある意味では怠惰な人物といえます。

長い入院生活の最中、兄や一歌くらいしか関わる人間がおらず子供のときのノリのままでいた咲希とは理由が違ってきます。
志歩、穂波は中学時代の経験から自らが変わることを選択し、その結果、咲希や一歌を悲しませてしまった。
しかし、その選択による失敗がなければ志歩も穂波も人間的に成長できなかったでしょう。

まふゆは変わろうとする選択をしなかった。その結果が自分自身の首を絞めることになったわけで、まふゆは操り人形というより箱に仕舞われて身動きのできない人形と例える方が相応しいのではないかと思います。


⑦朝比奈まふゆと私

この記事で私はまふゆに対してかなり否定的な描写をしました。
しかし、まふゆのことが嫌いかと問われると「心から好きとは言えないけど決して嫌いではない」としか言えません。
ガチャでまふゆが出たときは素直に嬉しかったですし、エリアでまふゆを見かけるとついタップしてしまいます。

私はまふゆと同じ環境で育ったとはいえ、まふゆに自己投影はしていませんし、できません。

もしまふゆに自己投影して語るなら、もっと自分のことを沢山語ります。

どちらかというと、アマチュアアイドルの花里みのりの成長を応援したくなる感情に近いです。
みのりはアイドルとしてまだまだ足りない、まふゆは人間としてまだまだ足りない。
ただ、みのりの場合はアイドルとしての能力が欠けているだけで人間性は失敗を経験に変えていく、前向きで真っ当なキャラクターです。
前向きでもないし真っ当でもないまふゆがどう成長していくのか、予想がつかないだけに見守りたくなるのです。

この記事を書いている最中、非常に心を抉られる気持ちになりました。
だってまふゆへの言葉は全てブーメランですから。
親に忠実に接していくうちに自分をなくしたのも、出来たであろう親への反発ができなかったのも、変わらない選択を取ったのもまふゆへの否定的な意見ですがそれは過去の私にも全く同じことが言えてしまいます。
それはまふゆの自業自得じゃん、と感じるたびに同時に過去の自分を攻撃しています。

しかし、まふゆを通して過去の自分を改めて自省するためにこの記事を執筆しました。

親の価値観の押し付けがなく、自由に選択のできる環境で育った人はまふゆをどんな視点で見ているのでしょうか。
両親に価値観を押し付けられている可哀想な子?
一人で抱え込んで限界を迎えた不憫な子?
それとも、ニーゴメンバーやニーゴミクに救いの手を差し伸べられた幸せな子?

私は朝比奈まふゆに対し、劣等感を抱いているのもまふゆを素直に好きと言えない理由の一つです。
まふゆと同じく、表向きは「優等生」で「いい子」で何もかも一人で抱え込みましたが、まふゆのようにセカイという居場所はなかった。ニーゴメンバーやニーゴミクのように手を差し伸べてくれる者も居なかった。

結局、大学進学が決まり親元から離れるまで自由になれませんでした。
親元から離れ、一人暮らしを始めると今まで親に許されなかったゲームにのめり込みました。講義をサボってネトゲ(モンスターハンターフロンティア)をすることもしょっちゅうありました。
好きでない人間に対して愛想を振りまかず、塩対応を取ることも増えました。

「いい子」から「悪い子」になってしまったわけです。
しかし、それは自分で取捨選択し、選択に責任を持つという大人への第一歩でした。

正直、朝比奈まふゆのことを知らなかったときは「優しい優等生タイプか、興味無いな」と思っていました。
だから私は好きですよ、悪い子。
作曲以外はだらしない奏、朝起きられないという理由で夜間学校に通う絵名、しょっちゅう授業をサボっている瑞希もある意味で悪い子です。
まふゆも一緒に悪い子になりましょうよ。

最後に、まふゆの両親は虐待親なのか?と問われると、法律上はセーフです。
まふゆに対して暴力を振るって自分の思い通りにさせようとしていたら勿論虐待に該当します。
また、「お母さんとお父さんの言うことに従わないと面倒見てあげないからね」等と言った場合は、暴力が一切なくても「脅迫」という心理的虐待に該当してしまいます。
まふゆは両親に反論しないので両親は自分たちの意見に子供も同意してくれていると思い込んでいる。不器用な親子間のすれ違いです。
私の場合はこの辺りは朝比奈家と異なりますが、まふゆに全く関係の無いことなので描写しません。

まふゆより少し大人になれた私から、朝比奈まふゆの精神的な成長について心からの応援を贈ります。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

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